指揮 ネーメ・ヤルヴィ
マニアにとってはたまらないプログラム。シュトラウス好きの私は、このプログラムを最初に見つけてまず目が点になり、次に嬉しくて思わず裸踊り、じゃなくて小躍り(笑)。
そうだよ、うん、今年はいちおうシュトラウスの生誕150年という記念イヤーなんだからさ。これくらいやってくれなきゃね。だいたいモーツァルトとかヴェルディとかの記念イヤーの時は、これでもかとばかりに採り上げるくせに、シュトラウスに対してはみんな冷たいというか、そっけないんだよな。新国立劇場もアラベッラの再演でお茶を濁すんじゃなくて、「カプリッチョ」とか「ダフネ」とか「無口の女」とかやってくれって。
などとほざいておいて、なんだが・・・。
なぜかというと、シュトラウス自らの芸術的な創作欲求に駆られて作った物ではなく、いかにも「頼まれたので、ご要望のとおりに作ってみました」感がプンプン漂う作品だからだ。
「あのー・・・お祝いなので、難しい感じじゃなくて、ひとつパーッという曲を作ってもらえませんかねえ?」
「パーッという曲ねえ・・・。あんまり気が進まんのう・・。」
「そこを何とか・・。もちろん謝礼はたんまりと。」
「あっそ? 仕方がないのう。そんじゃ、パーッという感じに作ってみますかねー。」
この両曲を聴くと、演奏の中から以上のような会話が聞こえてきそうなのである。
リヒャルトさんよ、おぬしいったい日本からいくら貰ったんだ?
それに比べれば「ヨゼフ伝説」はだいぶ良い。シュトラウスの持てる力が存分に発揮された、いかにもシュトラウスらしい作品に仕上がっている。プログラム解説にも書いてあったが、思わずニヤッとしてしまうくらい、自身の他の諸作品を彷彿させる曲だ。アルプス交響曲や家庭交響曲、ブルレスケ、エレクトラなど、どこかで聴いたような管弦楽法が随所に見られる。そういう意味では、この曲を知らずに本公演に来場したお客さんでも、シュトラウスの他の作品に多少なりの馴染みがあれば、十分楽しめたのではないかと思う。
ヤルヴィの指揮からは、これらの珍しい曲を完全に手玉に取っている印象を受けた。さすがの貫禄という感じだった。N響の演奏も、おそらく大半の奏者が初演奏だったと思うし、特にヨゼフ伝説は相当難曲なはずだが、十分に立派なものだった。
欲を言えば、もう少しゴージャス感と熱気が欲しいところ。そして、もっともっとわざとらしく、仰々しく、オーバーでウケ狙いの演奏を。だって、シュトラウスは意図的にそういうオーケストレーションにしているのだから。
それって、お上品なN響さんには無理な注文ですか??