昨日の午後、コンサートに行く予定だったが、行けなかった。鉄道の人身事故により電車が約1時間半もストップし、結局会場に向かえなかったのだ。
東京交響楽団のJ・ノット音楽監督就任記念公演だった。ノットが指揮する公演はこれからも行く機会が必ずあるはずだが、特別な公演だったのでやはり行きたかった。無念。意欲的なプログラムだったし、さぞや気合の入った素晴らしい演奏だったことだろう。聴けた人が羨ましい。
おかげでぽっかりと時間が出来てしまったので、自宅でオペラ鑑賞した。見たのは「イル・トロヴァトーレ」。今年の夏、ザルツで鑑賞する予定があるので、今のうちに一回見ておこうと思った。
いや、別に予習なんかしなくても、音楽もストーリーも完全に頭に入っているんだけどね。随分前にCS放送を録画しておいたものが未視聴だったからさ。
イルトロ(って呼んでいるのは私だけ?)は、数あるヴェルディの作品の中でも大好きな部類に入る。順番をつけたら、アイーダ、オテロに次ぐ第3位かもしれない。個人的には、傑作と誉れ高いドン・カルロやファルスタッフなどよりも上の扱いなのだ。
ストーリーは御存知のとおりめっちゃくちゃ。いくらなんでもそりゃないだろうというシロモノ。
でも構わん。なぜなら音楽がスゴいから。珠玉のアリアのてんこ盛り。美しいメロディのオンパレード。いやー、ヴェルディって天才。
音楽がストーリーを完全に超越しちゃっている物としては、他にもリゴレットや椿姫などがあるが、これらに共通する「お涙頂戴」的なクサさとは一線を画しているところが好き。
(レオノーラがマンリーコを救うためにルーナ伯爵との取引に応じ、最終的に死んじゃう所は、若干「お涙頂戴」かもしれないな。)
さて、このオペラを語る上では絶対に避けて通れない事がある。そう、マンリーコのカヴァレッタ、「見よ、恐ろしい炎をDi quella pira」だ。上演の際は、まず「誰がマンリーコを歌うのか」が先に来て、その次に「ちゃんとハイCを歌うのか歌わないのか」に行き着いてしまう。必ずそうなる。ハイCを出せば出したで話題になり、出さなければ出さないで話題になる。
特に、ハイCを回避するために転調し半音程度下げて歌うことについての是非や賛否の議論については、枚挙に暇がない。
基本的には、音を下げて歌うことには反対。なぜなら調性を変えてしまうと、音楽の性格や印象がガラッと変わってしまうから。
結論としては、ハイCを出せる人はそのように歌えばいいし、出せない人は姑息に音を下げずに堂々と原典どおりに歌えばいいではないか、といのが私の個人的意見。
残念なのは、せっかくの上演なのに、そうした「ハイC」論議に終始してしまうこと。私に言わせれば、テノールがハイCを出したか出さなかったかなんて、どうでもいい。「そんなことよりも、もっと注目すべき事があるんじゃないの?」ということだ。
色々な音楽表現があり、色々な受け止め方や感じ方がある。それをもっと語ろうではないか。あれだけ沢山の聴きどころがあるオペラ、そうはないのだから。