クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

クラウディオ・アバド

今月、ルツェルン祝祭管とともに来日する予定だったクラウディオ・アバドが、体調不良によりキャンセルとなり、祝祭管の公演そのものが中止となった。楽しみにしていたので、非常に残念である。
 まさかキャンセルの本当の理由は原発汚染水漏れじゃないだろうなーと勘ぐったが、秋のすべての予定をキャンセルしたらしく、体調不良は本当らしい。だとしたら、一刻も早い回復を心よりお祈りする次第である。
 
 キャンセル発表の時期とほぼ同タイミングで、この夏のルツェルンフェスティバルのライブ公演がNHK-BSで放映されたので、視聴した。メインのベートーヴェン3番エロイカは来日演目だっただけに「東京で聴けるはずだったんだよなー」と思いながら鑑賞したのだが、これがまた実に素晴らしい演奏だった。かえすがえす残念な気持ちでいっぱいになった。
 
 もうアバドも御年80だそうだ。月日が経つのは早い。
 指揮台に立つアバドは、枯れた、晩秋の佇まいを醸し出している。それでいて、音楽への対峙は深くて潔く、眼差しも厳しい。お世辞にもタクトは雄弁とは言えないのに、彼の音楽は余すところ無くオーケストラに浸透し、それが情熱となって聴いている側に届けられる。
 一人の指揮者を思い起こしながら、聴いていた。カール・ベームである。顔も姿も似ていないのに、二人の巨匠の姿が重なり合って見える。そこに、永年にわたって音楽に全てを捧げてきた真摯で実直な生き様がこちらに伝わってくるのである。
 
 
 ご存知のとおり、アバドミラノ・スカラ座ウィーン国立歌劇場ベルリン・フィルという世界最高峰の音楽ポストを次々と制覇した凄腕指揮者だ。キャリアを見る限りにおいては、カラヤンフルトヴェングラーといった伝説の指揮者級と言っていい。
 にも関わらず、それに見合う正当な評価が伴っていない。と思う。特に日本では。
 
 控えめな性格、威圧感とは無縁の穏やかさ、不器用にさえ見えるタクトなどが、ひょっとするとカリスマ指揮者の条件を満たしていないのかもしれない。
 
 更には彼のマニアックなレパートリー。
 本人も認めているが、彼が最も好きで得意で、その上演でも最大の真価が発揮されたのが、ムソルグスキーだというのである。それは確かに引いてしまう(笑)。
 
 ひょっとすると、ミラノ、ウィーン、ベルリンの最高ポストを歴任しつつ、実は心の中ではあまり居心地が良くなかったのかもしれない。やりたい物ではなく、‘やらなければならないレパートリー’に縛られてしまう。しかも常に過去の名指揮者や伝説的名演と比較され続けながら。
 
 「かんべんしてくれ、好きなようにやらせてくれ」と思ったかどうかは知らないが、病気をきっかけに世界の頂点の座を自ら辞し、悠々自適の場として、ついにルツェルンに辿り着いた。
 なんたって、「アバドとやりたい」という名手たちがそこに集結するのだ。指揮者にとってこれほど最高なことはないだろう。
 
 だからこそ思う。アバドを聴くのなら今だ、と。過去のベルリン・フィルとの録音CDを聴くのではなく、ルツェルン祝祭管のライブに足を運ぶべきであると。
 
 日本公演が中止になって、今、ますますアバドを聴きたい思いに駆られている。「日本に来られないのなら、いっそのことルツェルンに行ったろか」という思いがムクムクと沸き出ている。うーむ、検討しなければ。もちろんアバドの健康状態の回復が絶対条件だが。