95歳の奇跡の指揮者、ブロムシュテット。11年前、私はこのブログで彼に関する記事を書いている。
https://sanji0513.hatenablog.com/entry/29474448
いやー、改めて読み返してみると、生意気にエラそうなこと書いて、我ながらホント恥ずかしい。
『どれも水準は一定に高いのだが、決して忘れ得ぬ決定的な名演となると、「はて??」と首を傾げてしまう。個人的な感想として、ブロムシュテットの音楽は、なんか枠にはまっている気がする。堅実であるが、はじけないというか。』
40歳くらいの中堅指揮者についてだったらまだしも、既に84歳の巨匠に対してこれでっせ。
あーヤだ、こういうマニア気取りのシロウト・・・。
そして、記事の最後に結んでいるのが、次のくだり。
『ブロムシュテットが往年の伝説的指揮者に肩を並べて神々しく後光が差す時、それは今のように元気でスタスタと歩いてヒョイッと指揮台に飛び乗ることができなくなり、オケに対して40分も口頭指示を与えるような粘り強さやしつこさが消え、ただ指揮台に乗って後はオーラだけでタクトを振るような時期に差し掛かった時ではないかと思う。』
この当時の自分の意見が正当かどうかはさておき、その時期は到来していると言っていいだろう。今、ブロムシュテットの指揮姿には神々しく後光が差している。
(相変わらずオケに対して長々と口頭指示を与えるしつこさが残っているのかどうかは知らないが・・。)
そのブロムシュテットの現在について、先日、NHK-BS「プレミアムシアター」において特集番組が放映された。
3本立てとなっていて、最初が2021年ザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィル公演、次にドイツで制作された『音楽が奏でられるとき、魂は揺さぶられる』というタイトルのドキュメンタリー、最後が2020年ルツェルン音楽祭でのルツェルン祝祭管公演という構成だ。
特に興味深かったのは、人間としてのマエストロの姿に迫ったドキュメンタリーである。
ウィーン・フィルやゲヴァントハウス管、シュターツカペレ・ドレスデンといった名門オケと組んで音楽を作り上げていくリハ風景はどれも見ものだが、それよりも、彼が若かりし頃から経歴を積んでいく過程でのエピソードを語る話が面白い。
例えば、シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者就任の際のエピソード。
ブロムシュテットがこのオーケストラから招待を受けた時、当時の国家体制を考え躊躇をしたのだとか。
すると、楽団側は、カラヤンがこのオーケストラ奏者たちに対して語ったメッセージの録音テープを黙って彼にプレゼントした。録音に収められていたカラヤンのメッセージはこうだった。
「戦禍によりこの街は廃墟となっているが、皆さんは生きた記念碑です。ずっとこのままでいてください。私は必ず戻ってきます。もしベルリンの仕事がなかったらここを受けたことでしょう。」
このメッセージを聴き、ブロムシュテットは招聘を即断受諾。やがて首席指揮者に就任する。
へぇーー。いい話だね。
フルトヴェングラーとトスカニーニについて語るエピソードも面白い。
「フルトヴェングラーのリハーサルは非常に興味深く、彼が『ううぅ・・・もう一度!』と言っただけで団員は理解。マジシャンみたいだった。」
「トスカニーニはフルトヴェングラーのことをよく思っていなかった。フルトヴェングラーも同様で、彼はトスカニーニのリハーサルに参加したことがあったが、数分後には出て行った。『ひどい指揮だ』と言い残して。」
WWWWWW
ドキュメンタリーではN響との結びつきについても紹介していて、こう語っている。
「彼ら(N響)は新しいものを吸収しようとする意欲に満ちている。150%の集中力で椅子に座っている。ドイツ、ヨーロッパ、アメリカが見習うべき点がたくさんある。日本は私たちにとってお手本だ。」
なんだかこそばゆいが、嬉しいねー。
そのN響を振るため、毎年必ず日本にやってくるブロムシュテット。今年もまた10月の来日が予定されている。
年齢的に「もうそろそろ最後か」「潮時か」と思い、つい毎回チケットを買ってしまうわけだが、今年はちょっと心配。6月に転倒し、入院して、シュターツカペレ・ベルリンのコンサートをキャンセルしているのだ。
ご無事に回復されてほしい。いつものようにスタスタと歩いて指揮台に立ってくれることを、私だけでなく多くのファンが願っている。