クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2013/7/13 エレクトラ

イメージ 1
 
イメージ 2
 
 プロヴァンス大劇場は、2007年にオープンした、比較的新しい劇場だ。こけら落としを音楽祭の超目玉となるラトル指揮ベルリン・フィルによる「ニーベルングの指環」(新演出)の序夜(ラインの黄金-2006年)に合わせようとしたが、工事が遅れてしまい、翌年のワルキューレで幕を開けたというのはいかにもこの国らしいエピソードである。
 いずれにしても、この劇場が出来たことによって、古典物だけでなく大規模なオペラも同時並行で上演することが可能となり、音楽祭のスケールとグレードが一層向上したことは間違いない。
 
イメージ 3
 
 
2013年7月13日  エクサン・プロヴァンス音楽祭   プロヴァンス大劇場
指揮  エサ・ペッカ・サロネン
エヴェリン・ヘルリツィウス(エレクトラ)、ワルトラウト・マイヤー(クリテムネストラ)、アドリアーヌ・ピエチョンカ(クリソテミス)、ミハイル・ペトレンコ(オレスト)、トム・ランドル(エギスト)、フランツ・マツーラ(オレストの下僕)   他
 
 
 これは本当に素晴らしかった! 近年稀にみるくらいの名演だ。
 実を言うと、午前中に体力を消耗してしまい、眠くならないか心配であったが、その心配は全くの杞憂だった。仮に徹夜明けのままこの上演に臨んだとしても、眠くならずに鑑賞することが出来るのではないか。それくらい釘付けになる演奏だった。
 
 サロネンの音楽が実に素晴らしい。彼が紡ぎだす音楽は鮮烈であり、かつ精緻である。スイッチをオンにした瞬間、すべての楽器群がメカニックのように機能的に動き出す。それを寸分の狂いもなくコントロールするタクトの正確さ。しかも切れ味抜群。
 
 オーケストレーションの巨大さゆえに全体的に飽和化してしまう演奏を、私はこれまでに何度となく味わっているが、サロネンエレクトラは決してそのように陥らない。曖昧さを排し、緻密さを追求した結果、コンパクトでありながら、色彩が無限に広がっていく効果が得られている。このオペラにありがちなグロテスクさやヒステリック感とは無縁。このようなエレクトラは初めてと言っていい。まさに画期的なエレクトラである。
 
 歌手陣も大健闘。
 カーテンコールで、観客の一斉総立ちと爆発的なブラヴォーによって最大級の賛辞を得たのが、タイトルロールを歌ったヘルリツィウスだ。
 痺れた。鳥肌が立った。100点満点で150点をあげてもいい。
 彼女の最大の武器は、レーザー光線のようにストレートに響く声。音の色は純度の高い銀。無理して声量で威圧せずとも、その声は軽々とオーケストラを飛び越えて観客席に届く。
 ベーレンス、ポラスキとつないできた「世界最高のエレクトラ歌い」の称号は、今ヘルリツィウスの物となった。彼女の十八番の持ち役として当面継続的に歌っていくだろうから、もし諸兄で欧州オペラ行脚の際に彼女が歌うエレクトラを見つけたら、逃さず聞いておくことを強くお勧めする。(今回の共同制作であるスカラ座、メト、リセウ、ベルリン州立などの各地でのプレミエ上演でも、おそらく彼女が出演するのではないだろうか。もしそうなら、ヘルリツィウスのための新制作と言っても決して過言ではないだろう。)
 
 その他の歌手、ピエチョンカ、マイヤー、ペトレンコも、音楽的に申し分ないほど素晴らしかった。一人ひとり賞賛のコメントを書いていくと長くなってしまうので、申し訳ないけど省略。
 
 演出は、演劇・オペラ界のレジェンド、P・シェロー。彼がオペラを演出すると、必ず世界中の話題になるほどの大物だ。
 一幕物のため、舞台セット的に大胆な展開を起こしにくい部分もあり、全体的にはオーソドックスタイプである。
 だが、人間関係の描写は細かく鋭く捉えていて、非常にドラマチックだ。
 
 演出上の主な特色として、以下の点が見つけられる。
・オレスト死亡のニュースに、エレクトラがクリソテミスに「我々でやらねば」と唆すやりとりを、離れた所でオレストとその下僕が一部始終見届けている。
・冒頭のやりとりで、エレクトラを庇った結果、仲間達から仕打ちを受ける下女が、帰還したオレストをエギストの城内に招き入れ、企てをほう助する。
・クリテムネストラ殺害の場面を、舞台裏ではなく表舞台でやってのけ、客に始終を見せて戦慄を走らせる。クリテムネストラの死骸は、終了まで横たわったまま放置される。(W・マイヤーは、ずっと寝っぱなしとなる。)
・何も知らずに戻ってきたエギストは、横たわるクリテムネストラに驚き、遺体に駆けつけたところを、不意打ちで後ろから殺される。手を下すのはオレストではなく、オレストの下僕。
エレクトラは狂ったかのような歓喜の踊りを見せるが、最後は息途絶えるのではなく、呆然と座り込んだままの状態でエンディングとなる。
 
 その他、冒頭に登場する下女たちを、場面に応じて黙役で度々登場させているのも大きな特徴だ。これにより、この物語が母と娘、姉と妹という小さな人間関係の出来事ではなく、王家とその一門、支配が及ぶ城内での出来事に広がることとなり、よりスケール感が増す作用が働いている。
 
 観客はこのシェロー演出について、非常に肯定的に受け入れたようだ。
 この日はプレミエから2日目の上演だったが、カーテンコールでは、なんとそのシェローがサプライズ登場。ヘルリツィウスを始めとする歌手、指揮者に続き、再度の爆発的ブラヴォーが巻き起こったことを報告しておく。
 
 繰り返すが、本当に素晴らしい上演だった。このエレクトラだけでも、弾丸ではるばるやってきた価値があり、報われたと思った。