クラシック、オペラの粋を極める!

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2013/7/20 東響

2013年7月20日  東京交響楽団   サントリーホール
中村紘子(ピアノ)
ルーセル  交響曲第3番
ショパン  ピアノ協奏曲第2番
 
 
 中村紘子氏の演奏を聞くのはものすごく久しぶりである。いったいいつ以来なんだろうと思って調べてみたら、1988年6月、ベルリン・シュターツカペレ来日公演のソリストとしてベートーヴェンの皇帝を聞いて以来ということで、なんと四半世紀ぶりだ。指揮者はスイトナーだったので、やはり恐ろしく昔の感がある。(外来公演に、招聘エージェントが抱える日本人をくっつける‘姑息な’やり方は、もうこの頃から行われていたんだねえ。)
 
 今も昔も日本屈指の人気ピアニストでありながら、あたかも敬遠するかのごとく何十年もコンサートに行っていないのは、要するに彼女の演奏スタイルがあまり好きではなかったからだ。上記のベルリン・シュターツカペレ公演以前にも何度となく彼女の演奏を聞いたが、好印象を得なかった。
 あの頃の彼女の演奏は、よりダイナミックなピアニズムを得ようとしているのか、必要以上に音楽を大きく見せようとしているように見えた。それがいかにも作り物っぽく、不自然に感じた。また、幼い頃から天才と騒がれ、華々しいコンクール歴もありながら、実際聞いてみて、それほど高い技術があるとも思えない。それでいて、世間的に知名度があって、アイドル的人気を誇る。そんな中村紘子ワールドにおさらばしてしまったというわけだ。
 
あれから25年。
年月を経て、彼女の演奏はいったい今の私にどのように響くのだろう。ショパンの演奏を傾聴する。
 
 当たり前だが、音楽を必要以上に大きく見せようというアプローチは微塵も感じられない。今や大ベテランでピアノ界の大御所となった彼女が、今さらそんなことをする必要がないのは当然だ。
 聞こえてくるのは、行くところまで行き、到達して、そこで時間も風景も止まってしまった、あたかも静物画のような佇まい。これ以上進む感じがしない。今のままで十分中村紘子だが、新たな境地には辿り着かない・・・。
 
果たして今後、また再度彼女の演奏を聞く機会は訪れるのだろうか・・・。
 
 
 本来の目的であり関心であるスダーンの音楽に話を移そう。
 この日はフランス音楽。ドビュッシーラヴェルではなくてルーセル、幻想ではなくてロメ・ジュリというちょっと珍しいプログラムに、この指揮者のこだわりと意欲が伝わってくる。
 
 余分な装飾を排し、贅肉を削ぎ落した、素材(作品)の持ち味を存分に生かした演奏であった。
 特にロメ・ジュリは、題名が示すとおり劇性を帯びているにも関わらず、あたかも交響曲を演奏しているかのような真面目さ。それでいて、テンポやフレージングはしっかりと作られていて、音になった瞬間に生き生きとした躍動が開始される。これぞスダーンの真骨頂である。
 
 東響の音楽監督としての公演はもう残りわずか。怪我をされたのか、歩行が大変そうで、椅子に座って指揮をされていたのがちょっと心配だが、早く回復し、美しく幸福なフィナーレに向かっていっていただきたい。