クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

シベリウス

 以前からずっと感じていることなのだが、シベリウスは私にとって、ミステリアスな作曲家である。
 曲のタイトルにフィンランド地方の地名や叙事詩の一節が付けられているものが多いので、なんとなく彼の故郷の民謡だったり、自然の風景を描写したような音楽ではないかというイメージを持ってしまう。実際、彼は自然豊かな田舎や湖畔に居を構えて、そこで生活しながら作曲活動をしていたというから、自然からインスピレーションを受けていたことはまず間違いないだろう。

 だが、同様に故郷の自然や民謡をバックグラウンドに持ちながら曲を創っていったドヴォルザークを始めとするスラブ系の作曲家とは作風が明らかに異なる。

 シベリウス独特の作風の起源を肌で感じたくて、フィンランド湖水地方を一週間くらい旅したことがある。原始の森と湖がそのまま残る風景はとにかく美しかった。しかし、私の目に写った北欧の自然は、シベリウスの音楽と全く結びつくことがなかった。フィンランドの自然は泰然として長閑で優しかったが、シベリウスの音楽はもっともっと厳しく、冷たく、苦悩的だ。

 ひょっとすると、たまたま夏の時期に短期で旅行しただけでは分からない北欧の自然の厳しさ(冬期の日照の少なさ、寒さ、吹雪、オーロラなどの超自然現象など)があるのかもしれない。

 ただ、それでもシベリウスの音楽、特に交響曲の第3番以降、それに交響詩タピオラを加えた一連の作品群は、はるかに地球の自然を超えていて、宇宙根源的なものに聞こえる。地球から遥か離れ、太陽の陽がほとんど届かない惑星の音楽に聞こえる。(それぞれの交響曲に惑星名のタイトルを付したら、私はホルスト組曲よりも断然こっちに魅力を感じるだろう。)

 大学生の時、オーケストラで「フィンランディア」を演奏したことがある。練習中、常任指揮者の先生がタクトを置いてこう説いた。
フィンランド人の独立を希求する叫びを感じなさい。民族の誇りを感じなさい。君たちの音楽は全然だめ。まるで平和なニッポン。」

 確かにロシアからの独立時期とシベリウスの作曲活動の時期は重なっており、この先生の指摘は的を射ているかもしれない。

 でも、じゃあ、一連の交響曲が民族的な叫びなのかと言われても、やっぱり違うような気がする。

 まあ、あまりそこらへんの作曲家の意図を徹底的に解明しようという気もないのでここまでにしておくが、少なくとも音楽を聞いて、シベリウスの魂に近づきたい気はある。大いにある。

 そういう意味でも、私にとってチクルス上演に接することは大事。インキネンと日フィルの公演は重要な機会である。