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2012/12/19 リゴレット

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2012年12月19日  バイエルン州立歌劇場
指揮  マルコ・アルミリアート
演出  アルパド・シリング
フランコ・ヴァザーロ(リゴレット)、パトリシア・プティボン(ジルダ)、ジョセフ・カレヤ(マントーヴァ公爵)、ナディア・クラステヴァ(マッダレーナ/ジョヴァンナ)、ディミートリ・イヴァシュチェンコ(スパラフチーレ)   他
 
 
 思わず苦笑。「いかにも」といった演出家の一人よがりな‘思いつき’演出。よくあるパターン。
 見どころは斬新さだけ。一瞬「おっ!?」と目を引くが、それだけ。注意深く意味を探っても、何も見つからない。
 見つかるわけがない。何もないのだから。
 おそらく演出家に尋ねれば、取ってつけたような解釈を講じてくれるであろう。でも、「だから何?」という感じだ。「なるほど、そういうことだったのか」と深く頷く物は何もない。
 
 断っておくが、私は現代演出にとても肯定的な人間である。斬新な演出は望むところである。
 だが、それは作品に対する敬意と深い読込み、洞察があってこそ。物語の背景に何があるかを研究し、登場人物のキャラクターを掘り下げ、深層心理に焦点を当て、人間関係を再構築するのが演出家の役目。演出家がその役目を果たすのであれば、少なくともそれを果たそうとする過程が見出だせるのであれば、私は、仮に目を覆うような舞台であってもそれなりの評価をするつもりだ。
 今回の舞台には、そういった演出家の思索が感じられなかった。とても残念であった。
 
 歌手たちは演出の被害者である。まるでコンクリートのように人間味を欠いた演出(っていうか、それを狙っている?)なので、せっかくの美しいアリアが心に染みてこない。特にリゴレット役のヴァザーロは、今振り返って何の印象も残っていない。(もっとも、何の印象も残らないというのは、演出のせいだけではない気もするが。)
 プティボンは・・・なんか、すっかりオバサンぽくなっちゃったなあ(笑)。もちろん普段着ノーメイクのような演出上の要請のせいかもしれないが。6年前にストラスブールで彼女を観た時は、本当にチャーミングだったのに。
 
 
 話題を変えよう。
 バイエルン州立歌劇場は劇場の真横にトラムの停留所があり、私は終演後、帰路のためトラムの到着を待っていた。場所はたまたま楽屋口のそばだった。その楽屋口にはサインを貰いたい10数人ほどのファンが、身支度を終えた出演者が出てくるのを待っていた。
 私はサインを貰う人間ではないので、あくまでもトラムがやってくるまでの間だけ、少し離れて様子を傍観していた。
 
 最初に出てきたのはJ・カレヤ。あっという間に取り囲まれ、人垣となった。カレヤは非常に愛想よく、気軽に記念写真にも応じながら丁寧にファンサービスしていた。
 次に出てきたのはN・クラステヴァ。同じくサッと取り囲まれる。舞台の上でもそうだが、私服姿でも色気たっぷりの妖艶美人である。
 
 次に出てきたのは、指揮のアルミリアート氏。サッと取り囲まれ・・・るかと思いきや、サインをねだったのは3、4人。ありゃ? 人気ねぇー(笑)。
 アルミリアートさんはたっぷりファンサービスしたそうだったのに、あっという間に開放されちゃって、「もうお終い?あとはいいかい?」みたいにキョロキョロ見渡し、ウロウロしている。その哀れさが思わず涙を誘う(笑)。
 
 だが、そんな彼にも熱狂的なファンがいた。30歳くらいの女性。イタリア人ではなかった。たぶん追っかけだと思う。
 声をかけられたアルミリアートは「ああ、また来てくれたのかい!?」と感激の面持ちで彼女を抱擁した。よっぽど嬉しかったに違いない、うんうん。
 
 彼女以外は、もう指揮者のことなんか眼中になし。次に出てくる歌手を今か今かと待ち構えている。のけ者扱いのマエストロは、しばしその女性と立ち話を交わした後、「それじゃ」と言って、夜のミュンヘンに消えていった。付き人もおらず、一人小走りで立ち去ったマエストロの後ろ姿を私は忘れないだろう。
 
 ここでようやくトラムがやってきて、私はその場を離れた。時間にして15分くらいの出来事だった。
 
 なんか、オペラよりも、この「終演後の15分間」がミョーに面白かった。