クラシック、オペラの粋を極める!

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2012/8/16 バビロニアのチーロ

2012年8月16日  ロッシーニ・オペラ・フェスティバル   テアトロ・ロッシーニ
指揮  ウィル・クラッチフィールド
演出  ダヴィデ・リヴェルモア
マイケル・スパイアーズ(バルダッサーレ)、エヴァ・ポドレス(チーロ)、ジェシカ・プラット(アミーラ)、カルメンロメウ(アルジェーネ)、ミルコ・パラッツィ(ザンブリ)    他
 
 
 ロッシーニ若干二十歳、キャリアの中では初期の頃に作曲されたセリアの作品。今回フェスティバルに参加するまで、私は音楽どころか作品のタイトルすら知らなかった。
 
 ‘バビロニア’というタイトルから察することが出来るとおり、紀元前の旧約聖書の物語。チーロというのはイタリア語表記で、史実に基づく一般的な表記は「キュロス」らしい。「チロ」と表記されることもあるようだが、なんかワン子の名前みたいなので、この記事の中ではチーロにしておく(笑)。
 
 細かい筋書きは省略するが、古代バビロニアの物語を題材としたオペラとくれば、おおかた想像がつくだろう。背景にバビロニアだとかペルシアだとかの王侯諸国の対立があり、愛し合っている王と王妃が引き裂かれ、戦い、勝利し、再び巡り会ってハッピーエンド。単純である。
 
 このような単純な古典オペラセリアを、脚本のとおりそのまま舞台上に再現したところで、現代舞台芸術においては何の意味も為さない。なので、たいていの演出家は、時代や場所などの設定を移し替えるなどの様々な読替手法で作品の蘇生を試みる。
 
 ところが、今回の演出家は、天才的なひらめきで、紀元前という時代設定も衣装もそのまんま舞台上に再現しながら、なおかつそこに新たなエッセンスを加えるという画期的な手法を編み出した。
 
 どうしたかというと、「バビロニアのチーロ」を映画の中の物語に仕立て上げたのである。
 
 もっとも、それだけだったら‘ありきたり’なやり方だが、ナイスだったのは、1920年代のモノクロの無声映画にし、当時まだ珍しかった映像を驚きながら興味津々に見入る映画館のお客さん(コーラスパート)を同時にオペラの舞台に乗せて、「古代」と「戦前」の二つの時代をクロスオーバーさせたのである。
(そういう演出のオペラを観ている「現代」の我々を更に加えるならば、『三つの時代のクロスオーバー』と言えるだろう。)
 
 下の写真で、チーロの物語を演じる映画の役者チームと、この映画を鑑賞しているお客さんチームが同じ舞台に乗っていることがお分かりであろうか。
 
イメージ 1
 
 衣装やメイクは、それこそ徹底的な時代考証でリアリズムを追求する。
 チーロの物語では、下の写真のとおりおそらく1950年くらいまでの古典劇における衣装とメイクそのものだし、無声映画を見ているお客さんの着物やヘアースタイル、化粧などは、チャップリン時代のモードそのもの。このこだわりこそが、「二つの時代のクロスオーバー」の生命線になっている。
 
イメージ 2
 
 
 クロスオーバーと言えば、見逃せない注目シーンがあった。
 親に連れられて映画を観に来ていた小さな子供が、じっとしていられず、席を離れてスクリーンに駆け寄ると、その子供が物語にスリップインし、チーロ(王)とアミーラ(王女)の間の子(王子)になるのだ。
 
 いかがであろう、今回のプロダクションの内容を以上のとおり説明してきたが、お読みになって、諸兄も演出家の狙いが判るのではなかろうか。実に簡単、そして明白である。
 
 演出家の狙い、それは古代の物語を無声映画を利用しながら現代に蘇らせると同時に、無名で埋もれていたロッシーニの初期作品をも蘇らせるということ。そして、単に蘇生させるだけでなく、そこに橋渡しあるいは架け橋を作ること。時代から時代への橋渡し、ロッシーニと私たちの間の架け橋である。
 
 脱帽である。お見事としか言いようがない。
 ここでもやはりROFのプロダクションの質の高さに唸るばかりであった。
 
 歌手では、タイトルロールを歌ったエヴァ・ポドレス(下の写真の一番左。女性だが、チーロは男性役。メイクでひげをつけている。)が素晴らしかった。メゾ・ソプラノ、というよりもコントラルト系の深い中低音が染み入るように響く。年齢的にはベテランの域の歌手だが、その存在感が圧倒的だった。
 
 指揮者のクラッチフィールドは、タクトを振りながらチェンバロによるレチタティーヴォ伴奏も務めて大活躍。完全にこの作品を手中に収めていたのがよくわかった。