クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

タンホイザー1

 私のワーグナーオペラ初遭遇のことについては、以前に記事に書いたことがある。高校3年生の時、ブラスバンド部で「ジークフリートの葬送行進曲」を演奏することになった関係で、オペラなんか全く興味がなかったのに、無謀にもいきなり「神々の黄昏」全曲にチャレンジし、理解不能であえなく撃沈したというものだった。そういうことなので、私自身は「黄昏」を「最初のワーグナー」と見なしていない。
 
 私の「最初のワーグナー」は、タンホイザーである。
 社会人一年生くらいからようやくオペラに興味が湧くようになって、CDやレーザーディスクなどでぼちぼちと鑑賞するようになっていたが、オペラに開眼したきっかけとなった「ばらの騎士」、初心者向け定番の「カルメン」や「フィガロの結婚」、たまたまこうした時期に来日したスカラ座の公演演目だった「ナブッコ」などに続いて、その次に私が取り組んだのがタンホイザーだったのだ。
 
 数あるワーグナー作品の中で、最初がなぜタンホイザーだったのかは理由がある。
 もちろんこの曲が音楽的に親しみやすくて、ワーグナーの中では比較的初心者向きであるということもあるが、直接的なきっかけは別にあった。
 
 とある外来公演による超ビッグイベントがあって、その公演演目の一つがタンホイザーだったのである。
 
 「はは~ん、なるほど、あれのことね。」とお判りの方もいらっしゃるだろう。
 
 1989年9月、渋谷・東急文化村こけら落としの目玉として、バイロイト音楽祭の引越し公演が実現したのである。ほとんど門外不出であるこの音楽祭が日本にやってくるというのは、まさにセンセーショナルで、当時大きな話題を呼んだ。
(※1967年に大阪で、オーケストラを除き、歌手、指揮者(ブーレーズ)、演出、舞台装置がやってきて公演を行ったことがあったが、オーケストラも含めた完全引越し公演は空前のことだった。もう二度とないとも言われている。)
 
 この引越し公演では、ローエングリンパルジファルの抜粋コンサート形式上演も行われたが、舞台上演(オペラ)ではタンホイザーが演奏された。指揮はシノーポリ、演出は当時総裁だったW・ワーグナー
 
 公演概要が発表になった時点で、私はタンホイザーの全曲を知らなかったわけであるが(もちろん、序曲や聖堂への行進曲(第2幕)は知っていたよ)、そんなことよりも、「あのバイロイト音楽祭が日本にやって来る!」ということが一大事件であり、関心を示さずにはいられなかった。当時オペラ初心者だった私でも、‘バイロイト’というブランドがいかに特別で図抜けたものであるかを知っていた。
 
 入手困難なチケットであったが、なんとか安いカテゴリー席を入手すると、私は万全の態勢で臨むべく、さっそくこの曲の予習に取り組んだ。CDを聴き、レーザーディスクで映像を観た。
 
 
 さて。
 以上のストーリーの流れを汲んでいくと、この後の展開としては、この公演の感想を語り、歴史的なイベントに参加した意義を強調しながら、「ということで、私のワーグナーはここからスタートしたわけです。ちゃんちゃん。」などと結ぶのがオチだと推測されよう。
 
 話の続きは、実は別の方向へと進んでいく。
 
 せっかく入手したプラチナチケットを、あろうことか、私は放出してしまったのだ。バイロイト音楽祭東京公演よりも優先すべき用事を、私は自らの手で作ってしまったのである。
 
「海外旅行」だ。
(でたよ。またこれだよ。懲りないねえ。)
 
「ちょっと時期をずらせばよかったじゃんか」というご指摘は確かにごもっともだ。
 だが、この時の旅行に関して言えば、難しかった。なぜかというと、私はこの時期、「転職」という人生の節目を迎えていて、無事に次の就職先が決まり、長期の旅行をするならどうしてもこのタイミングしかなかったのである。大学卒業を控えた春休みにみんなが行く、いわゆる‘卒業旅行’に私は行けなかったというのもあった。
 
 ということで、私は、私の遺志を継ぎ(死んでないっつうの)、襟を正して公演に臨んでくれそうな信頼出来る友人に断腸の思いでチケットを託した。その友人こそ、このブログに度々登場する親友・相棒Oくんであった。
 
 ところが、だ。
 厄介なことに、このバイロイトタンホイザーが、Oくんの音楽人生の中でもハイライトというか金字塔とも言うべきか、一生忘れ得ぬ特別な公演になってしまったのだ。あまりにも素晴らしかったらしいのである。
 
 20年経った今も、彼は事あるごとにこの公演がいかに素晴らしかったかについて、目をキラキラ輝かせながら語る語る。しつこいくらい語る(笑)。「すごかった、すごかった」のオンパレードである。
 
 本当はオレが行くはずだったのに、プラチナチケットを買ったのはオレなのに、オレだって本当はめちゃくちゃ行きたかったのに、オレが行けば彼は行けなかったのに、Oくんはそんなこと知ってか知らずか、「いやー、すごかったのだよ」と延々と語る。
 
 いや、彼に悪気などないことくらい承知している。彼の感想は、ただ単に率直なものだ。心の底からそのように感じたのだろう。自慢でも当てこすりでもなく、きっと本当にすごかったに違いない。カルロス・クライバーの伝説の「ばらの騎士」を体験した人が、「この世の物とは思えなかった」と夢心地で語るのと一緒である。だから、本当は素直に「おめでとう。よかったね。」と肩を叩いてやればいい・・・はずなのだが。
 
 感動を共有できないのは悔しい。「すごかったよ」と言われて、「ああそうですか。そうでしょうねえ。」としか答えられないのは悔しい。
 
 おおらかに受け止められない私は、所詮、器が小さいのだ。
 
 ということで、Oくん。今後、タンホイザーの感想を語る際には、「おかげさまで」という枕詞を付けましょう(笑)。それなら、これからも一生話を聞いてあげます。