指揮 アルベルト・ゼッダ
演出 マルコ・ガンディーニ
須藤慎吾(アルマヴィーヴァ伯爵)、砂川涼子(伯爵夫人)、久保田真澄(フィガロ)、川越塔子(スザンナ)、向野由美子(ケルビーノ)、牧野真由美(マルチェリーナ)、三浦克次(バルトロ) 他
二期会が常に日本人歌手による上演を追求してきたのに対し、日本におけるもう一つの老舗団体である藤原歌劇団は、ほんの少し前までは主役級を外国から招聘していた。過去にはコッソット、ジャコミーニ、カプッチルリ、フレーニ、バルツァ、デヴィーア、サッバティーニなど、錚々たるビッグネームが登場している。(スゲー!)
ところが最近は国内組による上演がパターン化しつつあり、どうもパッとしない。「海外組に頼らなくても、日本人キャストだけで十分に興行できる」というのなら威勢がいいが、「単純に、ビッグネームを呼ぶ力を失っているのではありませんか?」
オペラに限らず、政治においても経済においても日本という国そのものが、もはや世界をリードする立場から陥落しており、なんとも寂しい限りだ。
海外から大物歌手を呼ばなくても、共同演出やレンタルなどによって優良プロダクションを手に入れるのならば、それはそれで結構なのだが、それさえもないとなると、藤原に対する期待は一気に萎む。そのくせ演目スタイルだけは妙にこだわっていて、イタリア物がやたら多いし・・・。
今回の演目も、毎度おなじみのフィガロ。つまらんなあ。
(注:「フィガロ」がつまらんと言っているわけではありません。毎度おなじみの演目ばかりというのがつまらんのである。そういえば、藤原は一時、毎年椿姫をやっていた。毎年だよ!アホかっつうの。)
ということで、別にパスしても良かったのだが、「指揮者がゼッダ」というのがミソだった。ロッシーニの権威にして大御所。これまでも藤原でのロッシーニ上演で、ゼッダマジックによって何度も奇跡の音楽を聞かせてくれた神様である。私はゼッダの音楽‘だけ’を楽しみに、会場に足を運んだ・・のだが・・・。
うーーん。魔法のかかり具合はイマイチだったかなあ。
音楽は小気味良く流れていた。だが、ロッシーニの時に聴けるような躍動感や高揚感に乏しかった。ゼッダの素晴らしさは、ウキウキしてしまうほどのノリの良さにあるというのに。
神様をもってしても、モーツァルトの音楽は一筋縄ではいかないのか・・・。
歌手では、伯爵夫人の砂川涼子とケルビーノの向野由美子が二重丸。だが、肝心のスザンナとフィガロが魅力に欠けていたのは残念。
演出では、歌手一人一人が棒立ちにならず、細かく演技をしていたのは良かったが、舞台空間を全然生かしきれていなかった。これは小ホール向けの演出だ。
ううぅっ、なんだか消化不良だわい・・・。
故ポネル演出のこのプロダクションは既に2回観ているし、「2004年に日本でやったのに、また同じ物を持ってくるんじゃねーよ!」という憤りもあるので、当初はウィーンのフィガロに行くのはやめようと思っていたのだが・・・今回の欲求不満を解消させてくれるのはもはやこれしかない。指揮はP・シュナイダーだしなあ。伯爵夫人はフリットリだしなあ。
やっぱり行くしかないか・・・。お金貯めよっと。