指揮 アルベルト・ゼッダ
演出 粟國淳
ロッシーニの神様としてファンから絶大な人気と信頼を得ているアルベルト・ゼッダ先生が、こうしてまた日本に来てくれたのは実に喜ばしい。一昨年に体調を崩して東京フィルへの客演が中止になってしまい、我々も大いに心配したが、すっかり回復された様子で、本当になによりである。
御年87歳だそうだ。指揮台に向かう足取りやタクトを振る勢いに陰りが見えてもおかしくないのだが、全然そのようなことがない。元気そのもの。いやあ素晴らしい。
おそらく音楽から相当の活力をもらっているのだ。生き生きとした彼の指揮を見て、心底そう思う。
今回は得意のロッシーニではなくヴェルディだが、ある意味これほどゼッダにふさわしい演目はない。ヴェルディ晩年の喜劇であり、人生の最後にようやく到達した桃源郷のような作品だ。老巨匠だからこそ理解し共感できる作風が必ずあるに違いない。
実際彼のタクトによって描かれる音楽は、喜怒哀楽に満ち溢れ、多彩な表情を見せる。理由は明快で、音楽に潜む喜怒哀楽のリズムや旋律をきっちりと強調しているし、劇の流れややりとりに応じたテンポ、間のとり方を常に第一に捉えているからである。
こうした表現方法はロッシーニの音楽作りに相通じたゼッダ流と言えなくもないが、ロッシーニのやり方をここで巧みに再利用しているというより、そもそもこれこそが音楽劇における人間の感情を創りだす際の基本共通ベースということだろう。ゼッダはそれを完全に知り尽くしており、泰然として揺るがない。
このようなゼッダの音楽手法は、出演した各歌手にしっかりと伝わっていたと思う。言葉と音楽と演技が乖離せず、多少のわざとらしさは見えたものの自然な流れになっていたのは、間違いなく指揮者の功績だ。もちろん演出の粟國氏も、歌と演技の融合を上手に行っていたが、巨匠から直接教わった点も多々あったのではないだろうか。
もっともこれはレパートリーシステムが定着していない日本の上演システムそのものの問題で、仕方がないことかもしれない。今回にしてもダブルキャストを敷いており、出演は結局1回きりなわけだし。
あるいは、役が完全に身体に染み付いている第一人者A・マエストゥッリの出演プロダクションの見過ぎか?それが最大の原因だったりして・・。
ゼッダ先生は今後4月に大阪、そして7月に東京で得意のロッシーニ・オペラを披露してくれる。必見必聴、逃すべからずだ。