クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/10/2 バイエルン州立歌劇場 ローエングリン

2011年10月2日  バイエルン州立歌劇場   NHKホール
演出  リチャード・ジョーンズ
ヨハン・ボータローエングリン)、エミリー・マギー(エルザ)、エフゲニー・ニキーチン(テルラムント)、ワルトラウト・マイヤー(オルトルート)、クリスティン・ジクムントソン(ハインリッヒ王)、マルティン・ガントナー(伝令)   他
 
 
 今回、原発事故の影響により、ソロ歌手だけでなく、少なからずの裏方や演奏スタッフが来日をキャンセルしたというニュースが流れた。ピット内に居並ぶオーケストラ奏者の何人かは臨時契約のエキストラなのかもしれない。
 だが、第一幕前奏曲の冒頭、ヴァイオリン群の弱奏の出だしがバッチリ決まり、あたかも星が誕生したかのようなキラキラした音が沸き立った瞬間、私は疑念雑念を捨てた。
 どういう形であるにせよ、これは紛れも無くバイエルン州立歌劇場なのだ。トリスタンやラインの黄金などの作品を初演した歴史を持つ世界有数のワーグナーの劇場なのだ。脈々と受け継がれている伝統の重みを私は信じることにした。
 
 そのオーケストラをケント・ナガノがグイグイ引っ張る。物語は舞台の上で進行するが、音楽の主導権はピットの中にあった。私は目を凝らしてオーケストラを覗き込む。彼らは常に全力で演奏していた。もう、それで十分だった。
 
 
 ローエングリンを歌ったヨハン・ボータ。さあみんなで称えようではないか!貴方こそ真のヒーローだ。
 
 当初予定キャストだったヨナス・カウフマンが落っこちた時、多くの人が落胆した。代役にボータが決まって喜んだ人なんて、ほとんどいなかったのではなかろうか。スカラ座来日公演でのラダメスがイマイチだったこともあり(でも、あたしゃそれほど悪くなかったと思ったけどなあ)、日本ではまだ決定的な評価を得るに至っていない。巨漢の容姿と大根の演技もマイナス。白鳥の騎士ならぬ白鳥の力士だなんてひどすぎる(笑)。
 
 だが、過去2回、ウィーンとシカゴで彼のローエングリンを聴いて(見て、じゃないよ)、私は打ちのめされているのだ!
 バイロイトでのジークムントだって、まさに神業だったのだ!
 彼は間違いなく「世界屈指のテノール」。私は今回の来日で絶対に彼は英雄になると信じていた。また、是非英雄になってほしいと願っていた。
 
 だから、カーテンコールで盛大なブラヴォーをもらっている彼を見て、心の底から嬉しかった。そして、「ほれ見ろ。どんなもんだい!?」と誇らしかった。別にオレが誇ることじゃないんだけどさ。
 
 もう一人の大物、ワルトラウト・マイヤーは貫禄だった。存在感がすごい。演技がすごい。目ヂカラがすごい。一瞬に賭ける爆発がすごい。たーだーしー。永年のキャリアによって積み上げたお宝によってモノを言わせている気がした。今はまだそれで大丈夫だ。だが、もし今後も消費していくだけならやばいと思う。さらに積み上げろとは言わないが、グル様のように全力でキープして欲しい。
 
 
 演出について。
 リチャード・ジョーンズの発想力、想像力に私はいつも感心する。基本的は好きな演出家であるのだが・・・。
 エルザのマイホーム願望。マイホームこそ一番の夢。彼女にとって伴侶とは、念願のマイホームを完成させ、そこで幸せな生活を送るための単なるピースに過ぎなかった。別にローエングリンでなくても良かった。どこの誰かもろくに調べずに結婚届にサインしたはいいが、やはりどこの誰か気になって、ついに尋ねてしまった。結婚生活の破綻は最初から見えていたというわけだ。
 最愛の妻エルザは自分のことを愛し、大切にしてくれるはずと思っていた夫のローエングリン。妻の本心が判り愕然とした夫はそのマイホームに火をつけてしまう・・・。
 
 実にユニークだ。だが、それがこのオペラの核心を突いているとは思えない。見方を変えれば、こういうポイント、捉え方もあるということ。だから今回は「なるほどね。面白いね。」で十分だろう。
 
 最終シーンで、群衆(合唱)全員がピストルを持ち、銃口を自らの口に向け、自殺を示唆するところで幕が降りた。実に意味ありげだったが、意図を読み取れなかった。どなたか解釈できた方がいらしたら、御教授いただきたい。