ドニゼッティ ロベルト・デヴェリュー
指揮 フリードリッヒ・ハイダー
演出 クリストフ・ロイ
エディタ・グルベローヴァ(エリザベッタ)、デヴィッド・チェッコリーニ(ノッティンガム公爵)、ソニア・ガナッシ(サラ)、アレクセイ・ドルゴフ(ロベルト・デヴェリュー) 他
日常において、「奇跡」を体験することなど、殆ど無い。
ましてや、それが起こることを事前に予測することなど、普通はあり得ない。
日常において殆ど無く、事前に予測し得ないからこそ、それは「奇跡」なのだ。
ところが、クラシック音楽やオペラの世界では、奇跡が起こることがある。
もちろん非常に稀なことである。しかし、この人が出演するのならば、それはかなり高い確率で発生する。「きっと奇跡が起こるに違いない」という予測が出来てしまう。
エディタ・グルベローヴァ。世紀のソプラノ。神が祝福したオペラ界の女王。
彼女は、またもや神の使徒として日本に降臨した。
カラスやデル・モナコを生で聴けた人はそりゃ幸せだっただろう。
だが、羨み嘆く必要はない。我々の時代にはグルベローヴァがいた。20年後、私は「グルベローヴァと同時代を生き、ナマでその歌声を聴けたのは幸せだった。」と満足気に語ることだろう。懐かしさを感じながら、決して忘れえない数々の公演舞台を思い出すことであろう。その中には、当然、今回のエリザベッタも含まれる。
だが、近年の彼女はそこに「凄み」が加わっている。大人の女性として思い悩み、苦しい心情を打ち明けるアリアを歌う時、我々は体が硬直し、戦慄を覚え、鳥肌が立つ。歳を重ね、経験を積んだ人間しかできない圧倒的な表現力に、ただただひれ伏すしかないのである。
彼女はこの栄光のキャリアを持続させるために、体調管理に努め、鍛錬に励み、パーティにもあまり参加せず、「あたかも修道女のような生活を送っている。」のだという。(本人談) 「奇跡」は決して偶然の賜物ではない。彼女の揺るぎない信念こそがこれを生んでいるのだ。
・・・・ああ、どうしてもグルベローヴァの事だけを延々と語ってしまう。仕方ないことだし、会場に足を運んだ方はみんなそうだと思うので、きっと許してもらえるだろう。
他の歌手では、サラ役を歌ったソニア・ガナッシも、苦しい胸の内を語る歌唱表現が秀逸だった。タイトルロールのアレクセイ・ドルゴフも、演技的には軽かったが、歌は十分に聴かせた。
クリストフ・ロイの演出については評価が別れると思う。
こういう現代演出に拒絶感を示す人もいるかもしれないが、彼の演出を何度も見ている私からすると、それらの中で今回のロベルト・デヴェリューはかなり穏やかな方だ。
「現代の一流企業の女社長という設定」との解説を読んだことがある。だが、演出家が「イギリスの鉄の女宰相マーガレット・サッチャーをイメージした」と語っており、設定場面は、むしろロンドン・ダウニング街の首相官邸なのかもしれない。
いずれにしても、読替え自体はそれなりの説得力を持っているとみた。後は見た人間が、ああだこうだと考えればいいこと。演出なんて、所詮それでいいのだ。そんなことよりも、とにかくグルベローヴァのことを讃えようではないか。そっちの方がよっぽど重要だ。