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2014/10/16 モントリオール響

2014年10月16日  モントリオール交響楽団   サントリーホール
五嶋龍(ヴァイオリン)
ストラヴィンスキー  ヴァイオリン協奏曲
ラヴェル  ダフニスとクロエより抜粋、ボレロ
 
 
「うーむ・・・」と考えさせられるコンサートだった。
 本当は次のように感想を語りたかったのだ。
「さすがモントリオール響、このオケが奏でるフランス物は一味違うよな。同時期に来日しているマリインスキー歌劇場管といい、独自の音色を持っているオケは強いよな。」
 
 その独自の音色を今ひとつ感じることが出来なかった。それはモントリオール響の音というより、ケント・ナガノが構築した音だった。
 
 ナガノにしてみれば、音楽監督として当然のことをしたまでである。彼の音楽はいつものとおり真面目で真剣。自ら考えるラヴェルドビュッシーの魅力を引き出すため、一生懸命に音楽を作っていたと思う。
 その結果、上に書いたとおり「ケント・ナガノが構築した音」というのを感じ取れたわけだから、ある意味で成功だったわけだし、ナガノにとっても手応えがあった演奏だろう。
 
 だが、それと引き換えに、このオケが従来持っていた伝統のフランスらしい響きは後退した。デュトワによって培われたラヴェルドビュッシーの演奏様式は喪失した。
果たして、ナガノはそれを意識的に実行したのだろうか、それとも・・・?
果たして、それは良かったことなのか、それとも・・・?
 
 デュトワモントリオール時代にやっていたこと、フランス物を演奏する際にやっていたこと、それは徹底した響きの美しさの探求だった。音を磨く作業だった。デュトワは演奏の際に付着する余計な物の排除ということをかなり神経使ってやっていたと思う。
 それに対し、ナガノが目指しているのは、正確な楽曲の読取りである。そこに「フランス物だから」といった特別扱いはない。アプローチはベートーヴェンラヴェルも一緒なのだ。
 そうしたナガノの音楽観がオーケストラのサウンドに影響を与えていることは間違いない。
 
 これは指揮者の個性とオーケストラのアイデンティティの問題だけに、結構重たい課題だ。しかも、モントリオール響だけでなく、世界のあちこちで起きている問題である。
 
 ちなみにナガノ&モントリオール響は、前回2008年4月にも来日公演を行っているのだが、ほとんど記憶に残っていない。
 一方で、デュトワとの来日公演は計4回足を運んでいるが、いずれも印象を鮮明に思い出すことが出来る。
 
 果たして、今回の演奏を私は10年後に思い出すことが出来るのだろうか・・・・。