クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2009/9/25 ルクレツィア・ボルジア

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2009年9月25日 バイエルン州立歌劇場
ドニゼッティ ルクレツィア・ボルジア
指揮  パオロ・アッリヴァベーニ
演出  クリストフ・ロイ
フランコ・ヴァザーロ(ドン・アルフォンソ)、エディタ・グルベローヴァ(ルクレツィア・ボルジア)、パヴォル・ブレスリク(ジェンナーロ)、カルメン・オプリサヌ(マッフィオ・オルシーニ)  他


 今や、グルベローヴァが出演するオペラ全てが、後世まで残る伝説の一片であり、彼女のオペラを観るということは、すなわち、‘芸術の神の降臨’を体験することである。

 あくまで私が体験し知っている限りにおいて、その偉大性において彼女に匹敵するのは、カリスマ:カルロス・クライバーしか思い浮かばない。(体験していないいにしえの巨匠たちについてはコメントのしようがない。)
ありがたいことに、働かなかったクライバーに比べて、彼女はこれまで我々ファンにたくさんの舞台芸術をプレゼントしてくれた。だが、一方でキャリアの終焉も垣間見える。残りのチャンスはそう多くはない。行くなら今しかない。

 以前のインタビュー記事(10年前くらいか)で、ルクレツィアについて「音域が低いので、自分に合わない。歌わないと思う。」と語っていたのを読んだことがある。
 にもかかわらずこうして採りあげたのは、もちろん年齢によって声の中音域に落ち着きが出たこともあろうが、要は、音の高い低いではなく「チャレンジしがいのある『役』であるかどうかが重要」と認識したからではないかと思う。近年のレパートリーであるノルマ、ロベルト・デヴェリューのエリザベッタ、そしてこのルクレツィアは、いずれも複雑な胸中に思い悩む深い心情表現を要求される物だ。

 これまでの豊富な舞台経験のおかげで、今やグル様には「声」だけでなく、苦悩に満ち溢れた嘆きや悲しみを表出させる「演技力」が備わっている。であるが故に、観客の耳だけでなく、心の奥深くまで感動を届けてくれるのである。
 そして、舞台に現れるだけで劇場内に緊張が走るほどの圧倒的な存在感。こうして舞台に奇跡が起こるのだ。

 だが。
 言いたくないが、やっぱり黄昏期を迎えていることは間違いない。あとはどこまでこれを維持できるか。

 いったい彼女はどこまで走り続けるのだろう。
 ある日「グルベローヴァとしての芸術を維持できなくなった」として女王のままで自ら引退するのか。それとも、「軽い役」「ちょい役」に移行してでも生涯現役を貫くのか。まあどちらにしても、彼女の輝かしい略歴はずっと語り継がれるであろうが。

 演出について。
 いわゆる‘ありがちな現代演出’だ。数いる現代演出家の中でもC・ロイは急先鋒に属し、この舞台も単なる読み替えではなく抽象的で、なんだか訳が分からない。
 だが、これまで彼の演出をいくつか観てきて、その中に共通点を見つけることが出来る。そこにヒントがあると感じる。

・簡素な舞台、モノトーン
・箱のような閉ざされた空間
・衆人を舞台に配置し、主要人物を冷たい眼差しで覗く

 私が想像するロイの狙いはこうだと思う。
「虚飾を排し、社会性が閉鎖された衆目からの冷徹な覗き込みによって、人間関係に疎外感と緊迫性を持たせ、そこから生まれる個人の感情をあぶり出す。」
  
 実際、この物語におけるルクレツィアには「政略、陰謀、毒薬使い」として名を馳せ、忌み嫌われる一面があり、そこを上記の手法で強調することによって、「母としての優しい情愛」とのコントラストを浮かび上がらせようとしたのではないかと思う。
 すまん、あくまで私感であるが。

 グル様以外では、ジェンナーロを歌ったブレスリクが好演であったが、演出によって「衆人の一人」とされてしまった結果、存在感が消されてしまったのが残念。あとはイタリアオペラに必要な喉がパカッと開いた発声を身につければ、一流歌手の仲間入りだ。

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 9月の旅行は、この公演を聴いて翌日帰国。全てつつがなく終わりました。