クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/8/14 ウィーンフィル

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2011年8月14日 ザルツブルク音楽祭 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会 祝祭大劇場
合唱  ウィーン国立歌劇場合唱団
クラッシミラ・ストヤノヴァ(ソプラノ)、オルガ・ボロディナ(メゾソプラノ)、サイミール・ピルグテノール)、イルダー・アブドラザコフ(バス)
 
ヴェルディ  レクイエム
 
 
 今年2月、リッカルド・ムーティがシカゴ響への客演リハ中に突然倒れ、世界のクラシック界に衝撃が走った。その後回復してシカゴ響の定期公演にも復帰し、ローマ歌劇場でもオペラを振るなどして多くのファンを安心させたが、氏が本当に完全復活しているのか、やはり自分の目と耳で確かめないと信じられなかった。
 また、わざわざシカゴまで行ったのに突然キャンセルに見舞われたため、今回のザルツでも「またドタキャンされたらどうしよう?」という一抹の不安を完全に拭うことが出来なかった。
 この日、私にとってのフェスティバル開幕であるウィーンフィル演奏会を前にして、期待感と、「本当にムーティが登壇するのか」という緊張感で、実はドキドキしっぱなしだった。
 
 声を大にして言おう。「ムーティは完全復活している!!」
 
 いや、ちょっと待て。「復活」という言葉は適切でないかもしれない。一時の不調から立ち直るのが復活だ。氏の軽やかな足取りと何ら変わらないダイナミックなタクトを見、鮮やかな輝きの音響を聴くと、そもそも一時の不調など最初から存在していなかったのではないかと思える。皇帝ムーティは以前のそのままに健在であり、なお楽壇に揺るぎなく君臨中だ!民よ、歓ぶがよい!
 
 
 ラテンの血が騒ぐ情熱的なタクトのイメージがあるマエストロだが、こうやって実公演に接すると、意外にもクールで理路整然と音楽をコントロールしていることがよく分かる。例えば、ffの大音量の場所で力いっぱい腕を振り回しているかと思いきや、普通にリズムを刻んでいたりする。一方で、ppのか弱い旋律の場所で猛然と振ることがある。つまり、我々はよく勘違いして聞いているが、音楽の起伏とは音量の大小増減ではないということだ。
 マエストロが最大限に力を込めるのは、作曲家が魂を注ぎ込んだ作品の核心部である。皇帝などと称されるが、実は作曲家の忠実な下僕であり、かつ、綿密な作戦(楽譜)を基に、巧みに軍を動かす優秀な司令官なのだ。だからこそ、ムーティの指揮する音楽からは「作曲家」が聞こえる。ヴェルディが聞こえる。この日も、レクイエムというよりもヴェルディが祝祭劇場に鳴り響いた。ということで、私の感想は「いい演奏だったね」ではなく、「ヴェルディの音楽って偉大だね」である。こういう演奏会に巡り合えるのが素晴らしいのだ!
 
 
 ・・・と、ここで鑑賞記を終えてしまうと、私の‘いつもの’ムーティ讃歌になってしまう(私はムーティの信奉者)ので、その他のパートについてもいちおう触れておこう。
 
 聴衆の心に最も響いたのがソプラノ・ストヤノヴァの切なる鎮魂歌リベラ・メであったに違いない。私の心も大いに揺さぶられた。だが、それもある意味当然で、一番泣ける最後のクライマックスにヴェルディがソロソプラノをあてがい、委ねたおかげという気がしないでもない。純粋な歌手の出来では、メゾのボロディナとバスのアブドラザコフの芯のある歌唱が魅力的だった。テノールのピルグはちょっと気負いがあったか?
 
 オケも合唱ももちろん世界最高レベル。だが、個人的な好みとして、ヴェル・レクに関しては常にスカラ座に軍配を挙げてしまうが・・・まあ、比較はヤボってもんだね。かつて大司教の居城の町であったザルツブルクで、司祭ムーティが祀る壮大なミサに立ち会った。これ以上の体験があろうか?!あるわけないっ!!(と、やっぱりムーティ讃歌で終わりにします)