2011年6月21日 新日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会 サントリーホール
指揮 ダニエル・ハーディング
あの日。
経験したことのないほどの大きな揺れと恐怖を職場で味わったのだが、自宅と家族がとりあえず無事であることの確認が取れた後は、私はすっかり平静を取り戻し、のんきにもコンサートに行く気満々だった。やがて、コンサートどころか、自宅に帰る交通手段さえも失って呆然と立ち尽くすことになるわけだが。
都内でも交通機関がマヒし、徒歩や自転車などでトリフォニーホールに足を運んだお客さんはわずか100人ほどであったという。
前代未聞のコンサート。世界のどこでも客席をいっぱいにすることが出来る若き俊英マエストロにとって、その心中のショックたるや想像に難くない。
公演は中止にすることも出来ただろう。むしろ中止が妥当だったのかもしれない。それでもハーディングは駆けつけた人のために演奏を断行した。そして、すぐさま、この日来られなかったお客さんのための代替公演や被災地復興支援のためのチャリティ公演を熱望し、提案した。
その公演が、3ヶ月後、ようやく実現した。
配られたプログラムは、なんと、3月の公演の物だった。あの時以来止まっていた時間が、今ようやく再び動き始めた。
この日、会場に集ったお客さんは、ハーディングが日本の復興支援に並々ならぬ意欲を持ち、放射能汚染の恐怖と困難を乗り越えて来日していることを知っている。だから、マエストロが舞台に登場しただけで、万雷の拍手が沸き起こる。
こんな状況下で、普段どおりの精神状態で聴くことがどうしてできようか!
なんだか交響曲第5番自体が、苦難から希望への道のりを示しているようだ。第一楽章の重々しい葬送の調べ。第4楽章のアダージョは楽しかった思い出の追想。第5楽章のフィナーレは輝かしい未来の歓喜。曲のイメージを勝手にそのように捉え、この交響曲に傷ついた日本人の魂の叫びと復興の希求を重ねあわせていったい何が悪い!!
ああ、どうやら私は感傷的になってしまったようだ。
ハーディングの強い信念に支えられた渾身の演奏が私の琴線に触れ、気持ちが揺さぶられた。
まさに特別演奏会のその名のごとく、特別な演奏会だった。
演奏については、コメントなし。この日もハーディングは終演後、ダッシュでロビーに駆けつけて募金活動を行っていた。そんな光景を目の当たりにしたら、演奏の質や技術云々なんかどうでもよくなってしまうわけよ。
そう思いません?? じゃ、そういうことで。