クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

「あの時、君は若かった」歌手編その1

 オペラを見るために、国内外の公演に足を運ぶようになって約20年。長い歳月の中で、当然のことながらオペラ歌手の変遷を目の当たりにする。依然として第一線での活躍をキープしている人、いつの間にか消えちゃった人・・・。
「あの人は今いずこ?」編はまたの機会にして、今日は「あの時端役だったのに、あらまあ、今じゃこんなに成長しちゃって」というスター歌手の、私が遭遇した若かりし頃を書いてみようと思う。というのも、先日メトで来日したディアナ・ダムラウを見て、とても感慨深かったので。
 まずはその彼女からスタート。
 
 「日の出の勢い」、「飛ぶ鳥を落とす活躍」とは、まさにダムラウのことを言うのではないか?先日も記事で書いたが、2004年にマーラー交響曲第2番復活のソリストとして来日した時は、日本ではほぼ無名だった。あれから7年、メトの看板歌手の一人として堂々たる来日を果たし、見事なルチアを披露、観客を熱狂させた。
 
 私が彼女の出演舞台に初めて接したのが、2001年のザルツブルク音楽祭。実力がなければザルツブルク音楽祭に出演することさえ叶わないわけだから、才能が認められていたことは間違いないだろう。だが、これが本当にビックリするくらいのチョイ役なわけですよ。何の役だったと思います??
 
 ヴェルディ作曲ドン・カルロ。エリザベッタ・・・であるはずがなく・・・なんと「天の声」であった。
 「天の声」分かりますか?第2幕(版によって第3幕)の異教徒火刑の場面。カルロとフィリッポの父子対決の後、異教徒が公開処刑で火で炙られる所で、舞台裏から歌われる昇天の救いの歌。それを歌っていたのがダムラウだった。出演時間なんて1分もない。舞台裏から歌うだけなので衣装も無し、カーテンコールは私服で登場します。
 
 もちろん、当時私はダムラウという歌手自体を知りませんでしたよ。数年後にプログラムを見返して、「ありゃま、こんなところに出てる!?」とひっくり返った次第です。
 
 今やオペラ歌手の男性部門で人気実力ナンバーワンのスーパースター。今回の来日キャンセルは多くのファンを落胆させた。2000年にミラノ・ピッコロ座という歌劇場の引越し公演で初来日し、コシ・ファン・トゥッテのフェッランドを歌ったことはファンの間では結構有名だが、来日公演を観たどれだけの人が今の彼の活躍を予言できたであろうか?
 
 私は更にそこから1年遡った1999年、やはりこれもザルツブルク音楽祭で聴いている。
 ブゾーニ作曲ファウスト博士。かなりマニアックで上級者向けのオペラ作品で、私も一応観たものの、チンプンカンプンだった。その舞台にカウフマンはいた。
 しか~し。これまためちゃくちゃチョイ役である。ほとんどアンサンブルチームと言ってもいい「学生」役であった。とーぜん、私に彼の出演の認識、記憶など全く無い。「聴いた」というより、「出ていたらしい」のを後で知っただけ。たまたまですな。
 
 その次にカウフマンに遭遇したのは2004年パリ・オペラ座ヴェルディ作曲オテロ。もちろんタイトルロールではありません。おわかりかな? そう、カッシオである。
 ちなみに、この時タイトルロールを歌ったのはガルージン。今や人気実力両面で立場大逆転。
 
 こうしてみると、いかに彼が下からのし上がって来たがよく分かる。それにしても、彼がカッシオだったら、デズデモナが心変わりするのではないかとオテロが疑心暗鬼となり嫉妬に駆られるというのもなんとなく分かりますな(笑)。
 
3 サイモン・キーンリーサイド
 歌も演技も容姿も三拍子揃って良しの名バリトン。ファンも多い。
 私は見た。彼の若かりし頃のチョイ役を。ムフフ。
 1994年、英国ロイヤルオペラハウス。もう17年も前か・・・。
 演目はプッチーニトゥーランドット。出演役「ピン」(笑)。そう、あの中国役人ピン・ポン・パンの一人ですよ!皆さん、想像してください、名バリトン・キーンリーサイドがあの道化役で歌って踊っていたなんて!(笑)ムフフ。
 実は、本人にとって暴かれたくない、もう封印したい過去だったりして、ね。
 
 ちなみにこの時の指揮者はダニエレ・ガッティ、カラフはジャコミーニ、姫様はシャーロン・スイートという、スイート食べ過ぎであと40キロはダイエットしないと絶世の美女に見えないお方でした。
 
 
 次回、パート2に続く。