クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/6/9 メト ルチア

2011年6月9日  メトロポリタンオペラ  東京文化会館
指揮  ジャナンドレア・ノセダ
演出  メアリー・ジマーマン
ディアナ・ダムラウ(ルチア)、ロランド・ビリャゾン(エドガルド)、ジェリコ・ルチッチ(エンリーコ)、イルダー・アブドラザコフ(ライモンド)   他
 
 
 落っこちたジョセフ・カレヤの代わりに、まさかビリャゾンが登場するとは夢にも思わなかった。ネトレプコとのゴールデンコンビで名を馳せた世界的スーパースター。発表された時はビックリ唖然。もう、「さすがメト!」としか言いようがない。そのネームバリューとマネージメント力たるや恐るべし。
 
ビリャゾンは、間違いないと思うが2回目の来日(前回はチョーフィーと共演したリサイタル)、オペラは初。今回のルチアの舞台に立つのは4公演のうちたったの一公演のみで、その一公演のチケットをたまたま持っていたのはラッキーとしか言いようがない。
 
 この演目では当初から主演のダムラウが注目を集めていたが、ビリャゾンの来日によって私の関心はもっぱら一点になった。
「はたして彼は復活しているのか??」
 ご存じの方も多いと思うが、一時期ずっと不調が続き、キャンセルや休演が相次いだ。喉の病気を患い、手術したという話を聞いた。一方で、「歌いすぎ」「世界の桧舞台に急に駆け上がりすぎた」などとも言われた。
 
 結論を言おう。
「ビリャゾンは復活している!!」
 甘いカンタービレ、ここぞという時のスピント、情熱的な表現力、ややオーバーな演技(笑)、どれをとってもかつて一世を風靡したビリャゾンそのものだ。
 
 ダムラウに期待して集った観客も、おそらく大半の人がビリャゾンの存在に圧倒されたに違いない。そして熱狂した。彼はここ東京から世界に向けて復活を高らかに宣言したのだ!
 この日の公演を聴けた人はラッキー。
 だったら最初から全てビリャゾンに任せておけば良かったじゃないか!一公演だけなんてあまりにももったいない。(それとも原発の影響で、ビリャゾン側から『一公演限定』を持ち出されたのだろうか・・・)
 
 主役を食われてしまった・・なんてことは決して無いけど、ダムラウについて。
 彼女がこんなにも早く世界のスターダムに駆け上がるとは、正直思わなかった。2004年10月、Z・メータ指揮スーパーワールドオーケストラ(何だかいかがわしいオケだな)が来日してマーラー復活を演奏した際のソプラノ・ソリストだったことを知っている、あるいは覚えている人はどれほどいるだろうか?既に当時からヨーロッパでは活躍していたが、日本では全くと言っていいほど無名だった。それが、今ではメトの花形歌手の一人として堂々たる来日を果たしている。音楽の友社が発行している「GRAND OPERA」誌でも、注目の歌手として女性部門第4位にランキングされている。
 
 この日も、たくさんの「ブラーヴァ!」を貰っていたダムラウ。高音の輝かしさ、自由自在の強弱音コントロール、コロラトゥーラやアジリタの超絶テクニックなどは確かに「さすが」であった。
 
 だが、あえて言わせていただくが、私はまだベルカントの真髄を極めた女王にはほど遠いとみた。現時点では正直、ジルダとルチア止まりのような気がする。個人的にはシュトラウスゾフィーやツェルビネッタの方が断然いい。(別に、あっしがシュトラウス好きだからそう言っているわけじゃないっすよ)
 それでも彼女はベルカントを目指すのだろうか??同じ道を歩んでいったグルベローヴァの後継者になるつもりなのだろうか??今後の方向性を私も注視しようと思う。
 
 どうしても主役の二人に多くが語られてしまうが、エンリーコを歌ったルチッチやライモンドを歌ったアブドラザコフも、主役に負けず劣らず本当に素晴らしかった。もっともっと讃えられていいと思う。
 
 最後に演出について。
 前回の記事で「メトでは演出について全く期待していない、斬新なアイデアを求めること自体が無益な望み」と書いた。今回のルチアもてっきりそうだとばかり思っていたが、どうしてどうして、とても感心したことがあった。
 演出家ジマーマンは、「なぜルチアが狂乱に陥ってしまうのか」に対する回答を用意したのだ。
亡霊のエピソードが彼女のトラウマを形成しているのだとし、本来出演しない亡霊を登場させ、その恐怖こそがルチアの精神的な動揺を引き起こすのだと解釈し、表現した。
何も、ひっくり返したような全面読替えをやることが演出家の役割ではない。物語の本質を自らの観点で探り出し、さりげなく仕掛ける。大人の演出家だと感心した。