2011年6月8日 メトロポリタンオペラ NHKホール
指揮 ファビオ・ルイージ
演出 フランコ・ゼッフィレッリ
バルバラ・フリットリ(ミミ)、ピョートル・ベチャワ(ロドルフォ)、マーリューシュ・クフィエチェン(マルチェッロ)、ジョン・レリエ(コッリーネ)、エドワード・パークス(ショナール)、スザンナ・フィリップス(ムゼッタ) 他
ついにメトの東京公演が開幕した。開演に当たってゲルプ総裁が挨拶し、「今回の来日公演はかつてない困難に直面した。」と話していた。そうであろう。本当によく来てくれたものである。
ボエームはメトが所有する数多くのプロダクションの中でも、看板の一つとして特に有名だ。特に第2幕のパリの雑踏場面は、豪華な舞台装置と大掛かりな人的作戦が功を奏して、観る者を圧倒する。幕が開いてスケールの大きな舞台が展開すると、客席から拍手が沸き起こった。これってニューヨークのメトの風景そのものではないか!思わず笑ってしまった。
ところで、ゼッフィレッリが演出したボエームはメトだけではない。ウィーンもスカラ座もゼッフィレッリである。私はいずれも現地鑑賞したが、舞台装置が微妙に細部(特に第3幕)においてそれぞれ異なっているのが興味深い。
登場人物の動きはいわゆる伝統的な所作で、特筆すべきことはない。屋根裏部屋に小さなバルコニーが付いていて、自分の夢や恋人への想いなどを語る際に、そのバルコニーに移動して立ち位置をうまく工夫していたが、ま、そんな程度。演技はゼッフィレッリが施したというよりも、各歌手の自由な意思に委ねられている部分が大きかったように思う。
そもそもメトに演出における斬新なアイデアを求めること自体が無益な望み。私も全く期待していない。主導権を握っているのはもっぱら出演している一流歌手たちの方。いわばプロ野球のオールスター戦みたいなもの。豪華絢爛こそがメトなのだ。
そういう意味において、ベチャーワ、フリットリ、クフィエチェン(※)、レリエなどの歌手はまさにキラ星のごとし。
(※ マーリューシュ・クフィエチェンについては色々な読み方呼び方があるみたいだが、私は知り合いのポーランド人(友人の奥さん)に教えてもらった呼び方で上記のとおり使用させてもらう。)
中でも特に出色と言っていいのが、もう当たり前なんだけど、フリットリ。豪華な声の饗宴の中で、更に一頭図抜けている。日本のお客さんもよく知っていて、彼女が登場すると会場に張り詰めた空気が漂う。
我々は感謝しなければならない。彼女の歌を聴ける幸せを。現在のオペラ界にフリットリがいる幸せを。2005年の初来日以来、2007年を除いて毎年来日してくれていることを。
考えてみると、今回のメトは3演目全てイタリアオペラなのに、イタリア人は彼女だけである。世界選抜のオールスターの中の、最高の切り札カードと言っていいだろう。
メトを語るとつい歌手の話だけになりがちだが、ファビオ・ルイージ指揮のメト管も歌にピタっと寄り添った絶妙の伴奏だった。誰も話題にしないが、このメト管、かなりの実力オケである。ニューヨークフィルやボストン響が常にピットに入っていると言っても過言ではない・・・(いや過言かもしれない(笑))