2011年6月5日 新国立劇場
指揮 ミゲル・ゴメス・マルティネス
演出 ダミアーノ・ミキエレット
マリア・ルイジア・ボルジ(フィオルディリージ)、ダニエラ・ピーニ(ドラベッラ)、タリア・オール(デスピーナ)、グレゴリー・ウォーレン(フェッランド)、アドリアン・エレド(グリエルモ)、ロマン・トレケル(ドン・アルフォンソ)
古典作品が「演出」という魔法によって色鮮やかに蘇り、そこに新鮮な息吹が巻き起こるという、まさに典型であり見本。
200年以上も前に作られた物語であっても、そこには現代に相通じる普遍的なテーマが潜んでいて、今もなお共感できるということを、演出家ミキエレットは軽々と証明してみせた。その手腕たるやお見事。
昨今のオペラにおいて、舞台を現代に設定する試みは決して目新しいことではない。むしろ、どこでもやっている。だが、そんな中でもミキエレット演出版は、発想、着眼点が実にいい。
「キャンプ場」だなんて! そうきたか! ナイス! いいところに目をつけた。
都会の日常を離れ、キャンプに出かける若者たち。大自然の中で身も心も思いきり解放され、なんだかウキウキ。ついついハメを外したくなる。若者はリフレッシュと、プラス「何か」をそこに求める。「何か」とは-そんなの「出会い」と「恋の予感」に決まっている!
奇しくもフィオルディリージとドラベッラ姉妹は冒頭の二重唱の後のレチタティーヴォでこう会話しているではないか。
「今日はなんだか嬉しくて、うきうきするわ!」
「私も何か新しいことがある予感がするの!」
バーベキュー、花火、星空、キャンプファイヤー・・・ほらほら、何かが起こりそうな楽しいシチューエーション、それがキャンプ場だ!
姉妹二人が自分の彼氏の肖像ペンダントを眺めながら自慢しあう場面も、週刊誌のかっこいい男性グラビアアイドルを眺めてウットリするというふうに読み替えられているが、それはどこにでもいる普通の女の子そのものだし、時系列で物語が展開していった結果、やがて日が暮れて夜になるという設定も、必然で分かりやすい。女の子を口説き落とすのは、やっぱ「夜」に限るのだ!!(笑)
ラストをハッピーエンドにするか破局にさせるかはこのオペラの演出上、重要なポイントである。現代演出では、むしろ後者の方が多い。今回のもそう。確かにあんなことになったらもう取り返しがつかないわけで、のんきにハッピーエンドにする方がかえって不自然。今回の場合、更にそのツケを仕掛け人のドン・アルフォンソに負わせたのは一つのミソであった。
(ただ、どうしてもモーツァルトの音楽がハッピーエンドに仕立て上がっているので、そこら辺の乖離はどうしようもないのだが・・・。うまくハッピーエンドにしつつも、そこに何らかの教訓が示唆され、考えさせるような・・そんな演出を見てみたいものだ。)
かようのごとく楽しくて目からウロコの演出だったが、音楽面に関して言えば「十分満足」とは言い難い。ミゲル・ゴメス・マルティネスの指揮は、一言で言えば、「キレがない」。演出があんなに生き生きしているのに、なんだか時代劇の音楽を付けているようで(笑)。
歌手も、OKの人、あと一歩の人、イマイチの人、と分かれたが・・・いや、やめよう。こんな危ない日本にわざわざ来てくれたのだ。もう今年は外来に対しては批判やめ~!ひたすら感謝に徹します。
いずれにしても楽しかった。再演希望します。ただし次回は是非当初発表どおりのキャストで!(笑)