クラシック、オペラの粋を極める!

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2011/8/15 コシ・ファン・トゥッテ

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2011年8月15日  ザルツブルク音楽祭  ハウス・フュア・モーツァルト
演出  クラウス・グート
管弦楽  ルーヴル宮音楽隊グルノーブル
マリア・ベングッソン(フィオルディリージ)、ミシェル・ロジエ(ドラベッラ)、アレク・シュレーダー(フェランド)、クリストファー・モルトマン(グリエルモ)、アンナ・プロハスカ(デスピーナ)、ボー・スコウフス(ドン・アルフォンソ)
 
 
 以前から何となくそうではないかと思っていたが、やっぱりそうだ。演出家クラウス・グート。彼は「天才」である。しかも「超」がつくほどの。世界のいたるところでモーツァルトの作品が上演されているが、これほどまでに演劇的であり、全てが綿密に計算され、示唆に富んだ作品はなかなかお目にかかれない。このコジ一本だけを観るためにはるばるザルツ入りしても決して損はない。
 
 このプロダクションは2009年にプレミエとなった物の再演である。初演版は映像収録され、TV(クラシカ・ジャパン)でも放映され、またDVDにもなった。私も見たが、今年のプロダクションは更に手直しが入り、より一層磨き上げられて、完成度が一段と高まっている。
 
 初演のオリジナルにおいて舞台に森の一部を登場させ、既に同じく彼が演出したドン・ジョヴァンニとの共通点を印象づけていたが、今回の手直し点として、ドン・アルフォンソとデスピーナの両人に天使の羽を付け、「恋人同士の試練」から「天使のいたずら」への置き換えを、より視覚的にわかりやすくした。この「天使のいたずら」は、やはり彼が演出したフィガロの結婚のコンセプトに他ならない。こうしてフィガロ、ドンジョ、コジが、一人の演出家により壮大な三部作として見事に連結した。あたかも、ワーグナーの畢生の大作「指環」のように。
 
 ただし、フィガロに登場した白い羽の天使ケルビムとは異なる。黒い羽をつけ黒い服に身を包んだ黒天使。悪魔と言ってもいい。フィガロの演出で描かれた人間の内面の二律相反性をここで改めて表出させ、闇へ連れ込む者の化身として登場させた。
 フェランドもグリエルモも、黒天使ドン・アルフォンソに操られるだけなので、恋人のチェンジの際には黒の衣装に着替えるだけ。黒天使が4人をおびき寄せる場所は夜の森。そう、そこはドン・ジョヴァンニの逢い引きの場所であり、数々の悪所業が行われ、ついに地獄に堕ちる闇の奥底である。
 
 こうしてこの演出版における重要なテーマが見えてくる。「誘惑」である。
 恋人たちがそれぞれの相手の恋人を誘惑し合いながら、その実、全てを操る黒天使から闇(森)へと誘惑されている。
 
 グート演出では、デスピーナにも重要な役割を果たしている。男二人を誘惑するのがドン・アルフォンソであるなら、女性姉妹を誘惑するのがデスピーナで、彼女もまた黒天使の一人だ。一昨年の初演時にこの役を演じたP・プティボンはかなり自由奔放・縦横無尽に演技していたが、今回のバージョンでは、おそらく演出家の徹底した指示を受け、ドン・アルフォンソの手下であり影として忠実に動いていた。
 
 コジの上演でしばしば論争となるエンディングの恋人たちの行方(ハッピーエンドとなるか破局となるか)であるが、グートは明確な結論を出さない。冒頭と同様に、天使の羽がヒラヒラと舞うイメージ映像を流すのみ。彼にとっては、仕掛けこそが重要であって、結末は大した問題ではないということだろう。まるで、「天使のいたずらは続く」とでも言っているかのよう。三部作としてきりがいいのでこれで終わりだとは思うが、あわよくば魔笛などを加えて、「天使の誘惑」シリーズを更新してもらえないだろうか?? いえ、無理だったら、別にいいです(笑)。
 
 出演した歌手たちはさぞかし大変だったろうと推測する。これだけ細かく演技をつけられ、徹底されることは滅多に無いのでは? だが、6人全員がこれを見事に演じきった。それでいて歌、音楽は決して疎かにならない。世界最高峰のザルツブルク音楽祭に呼ばれた実力の程をここに示したという感じだ。
 B・スコウフスの上手さは、もちろん演技も含め、ただただ舌を巻くばかり。ドン・アルフォンソをキーパーソンに置いているこの演出では、上演の成功が彼抜きでは語れないだろう。初演時のキャストの中で、彼だけが今回も引き続き務めているのも当然。
 今回初めて聴いたベングッソンも良かったし、昨年までのドン・ジョヴァンニモルトマンも最高だった。A・プロハスカは間違いなくこれからスターになっていくと思われる。っていうか、もう既にスターか、こりゃ失礼。
 
 指揮者ミンコフスキの音楽も爽快感抜群。いつもながらの快適なテンポで疾走。古楽奏法をベースにしつつも、現代的なサロンミュージックの趣きが添えられていて、何とも心地よい。彼と彼が率いるルーヴル宮音楽隊が奏でるサウンドは孤高であり、世界唯一のもの。傾聴する価値大である。
 
 
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会場のハウス・フュア・モーツァルトはステージの裏がすぐ外につながっていて、昼間、お散歩がてら劇場の裏手に行くと、運が良ければそこから舞台裏のセッティング作業を覗くことができる。偶然だったのだが、こうしてたまたまコシ・ファン・トゥッテの舞台装置(後ろ側)を見ることが出来た。舞台の裏って、当たり前だがなかなか見られないので、とても興味深かった。セットなんて、裏から見るとただの板です(笑)。