指揮 ロジャー・ノリントン
河野克典(バリトン)
さすらう若人の歌は、当初予定されていたドイツのバリトン、ディートリッヒ・ヘンシェルが来日せず、河野さんに変わったが、残念だった。申し訳ないが、私は河野さんの歌について、いつも物足りなく思っている。声が楽器となって、ホールに響き渡らないと感じる。NHKなら、なおさら苦しい。
もっとも、河野さんは5月のリサイタルでさすらう若人の歌を歌うことになっていたため、急な出演にも対応ができた。暗譜だったし。今回の代役としては適任だったのだろう。
ノリントンのマーラーはユニークそのもの。ノン・ヴィヴラートの統一は相変わらず。彼は、通常ヴィヴラートによって強調されるエスプレッシーヴォを、テンポを動かしたり、音を膨らませたり、クレッシェンドをかけたりといった他のやり方で対処し、表現を変えて見せる。それはそれで、普段耳馴染んでいるものとは違っていて、面白いと思う。
だが、逆に言えば、単純にヴィヴラートで表現すればいいものを、それを取り外してしまうが為に、余計な表現方法をわざわざ捻出しなければならない。そして、それは作曲家の意図とは別な物だ。
なんだか結局、彼の演奏はいつも「ユニーク」で終わってしまう。それでいいのだろうか?(余計なお世話かもしれないが)
要するに、「ユニークさが彼の生命線。ユニークであるが故に、彼の存在意義がある。それはそれでオッケー」ということか。