クラシック、オペラの粋を極める!

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2008/5/8 ジュネーブ大劇場

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2008年5月8日  ジュネーブ大劇場
指揮  レイフ・セーゲルスタム
演出  ダニエル・スレーター
クリストファー・ヴェントリス(ローエングリン)、ソイレ・イゾコスキ(エルザ)、ゲオルグ・ツェッペンフェルト(ハインリッヒ)、ユッカ・ラッシライネン(テルラムント)、ペトラ・ラング(オルトルート)   他
 
 
 演出家にとって、ローエングリンは相当に創造意欲をかきたてられ、想像力をいかようにも広げられる作品なのかもしれない。
 例えば、P・コンヴィチュニーは舞台を学校の教室内に置き換えた。ウィーン国立歌劇場で演出したB・コスキーはエルザを本物の盲目少女にしてしまった。バイロイトのノイエンフェルスはねずみワールド。バイエルン州立歌劇場のR・ジョーンズはエルザのマイホーム願望・・・。他にも色々ありそうだ。
 
 今回の上演も、設定がなかなか凝っていた。
 米ソ冷戦時代の旧東側共産党独裁国家における軍部内が舞台の場だ。エルザは、このような抑圧的な体制化で告発され、今、軍事法廷に立たされている。軍服を来たテルラムントが告発者だ。彼女はいったい何の罪を犯したのだろう。原作のとおり弟殺しの容疑なのか。読み替え演出だから、実はスパイ容疑や西側逃亡計画の発覚かもしれない。それとも・・・。
 
 スーパー弁護士のローエングリンが登場して立場は一転し、英雄がエルザの窮地を救って・・・と物語が進めばいかにもありがちな展開だが、そうならないのがミソ。
 ローエングリンは正義のヒーローではなかった。登場した時、彼は怯えていた。無理やり法廷に呼び出されたようだ。望んでもいないのに強制的にその場に立たされた。文句は言えない。鉄の規律に逆らえない。断れば自分の命が危ない。「恐怖政治が支配し、自由を奪われた社会の犠牲者」がローエングリンであり、エルザだってわけ。「ふーん、なるほどね」って感じ。
 
 このローエングリンを見て、なんだかロッキー4を思い出した。ソ連の国家プロジェクトで無機質な機械のごとく育成されたサイボーグボクサーと戦うため、モスクワに赴いたロッキー。共産党の政治家、軍人、警察などの特権階級がずらりと並ぶ異様な試合会場。なんか今回の舞台と似ている。演出家は映画ロッキーからヒントをもらったか?(笑)
 
 ただし、この演出解釈は結構難解で、私も舞台で起こっている全ての事象を読み取れたわけではない。第2幕の場所(上記の写真)は国会図書館だかなんだか、いずれにしてもライブラリーのようだったが、それが何を意味しているのかは全然理解できなかった。ちょっと話をこじつけし過ぎてややこしくなっているようだ。着眼点は面白いと思うのだが・・・。
 
 指揮をしたのはご存知‘フィンランドからやってきたサンタクロース’セーゲルスタム。
 実は、セーゲルスタムはピンチヒッターであった。当初の予定の指揮者は違っていた。(当初予定の人が誰だったかは忘れてもうた。)私はこの変更を当日まで知らなくて、ピットに現れた巨漢の白ひげを見てひっくり返った。
 
 セーゲルスタムにとって、ワーグナーのオペラはお手の物。急なピンチヒッターに動じることはない。見事な統率力、万全の音楽だった。
 
 歌手もご覧のとおり一流歌手がずらり。ローエングリンを歌ったヴェントリスは堂々とした歌いっぷりで、かっこいい容姿と相まって喝采を浴びていた。
 
 私はこれまで自分で見た聴いた公演をデータベース化していて、曲やキャストなどを記録しており、その際についでに5段階評価を下しているのだが、この記事を書くにあたって改めてデータを見てみたら、最高ランクの☆☆☆☆☆が付いていた。