クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2011/2/12 西部の娘

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 シカゴ滞在4日目、最終日。ビルが立ち並ぶ大都会のど真ん中にあっては、そろそろ昼間の観光もネタが尽きてくる。自分が美味しい物巡りだとかショッピングとかにも楽しさを見い出せる人間だったら、もう少しこの街の探求を続けられるかもしれないが、あいにくあんまり興味がないんでね。へへ。
 この日は郊外にある科学産業博物館に遊びに行き、加えてそのエリア(シカゴ大学付近)を散歩するなどして過ごした。ガイドブックによれば、科学産業博物館はシカゴで最も人気のある博物館とのことであったが、別に特段書くこともないので、さっそく夜のオペラ鑑賞に移ろうと思う。
 
年間の上演数が8本のシカゴ・リリック・オペラ。常日頃もう少し増えないものかと思っている新国立劇場でさえ10なので、決して多くはない。いやそれどころかリリックのステータスからすれば非常に少ないと言っていいだろう。そんな中で今回はワーグナープッチーニが同時期に交互上演されていて、それを二日連続で鑑賞できたというのは非常にありがたかった。
 
 
2011年2月12日  シカゴ・リリック・オペラ
プッチーニ  西部の娘
指揮  サー・アンドリュー・デイヴィス
演出  ハロルド・プリンス
デボラ・ヴォイト(ミニー)、マルコ・ヴラトーニャ(ジャック・ランス)、ロイ・コルネリウス・スミス(ディック・ジョンソン)、クレイグ・アーヴィン(アシュビー)    他
 
 
 舞台は西部開拓時代のとある鉱山の中。原典の設定に忠実な装置。背景の山々は絵で描かれていて、いかにもオールドファッションである。観客は‘想像力’という武器を持っており、各々の想像力の豊かな広がりに可能性を委ねるのが現代の演出のポイントだ。いちいちご丁寧に「ここは山の中ですよ」と絵に書いて説明する必要はない - と私なんかは思うのだが。アメリカではこのような考えは少数派だ。幕が開いて、舞台いっぱいに広がる鉱山の再現に息を呑み、それだけで拍手が涌き起こる。
 そしてアメリカが生んだスター歌手の一人、デボラ・ヴォイトが舞台に現れると、「待ってました!」とばかりにやっぱり拍手。やれやれ・・・。
 
 ヴォイトは私にとって、少し不思議な歌手だ。
 基本的には彼女の声や歌はあまり好きではないんだと思う。だから、第一幕など序盤の頃は「良くないなー」と思いながら聞いている。ところが、時間の経過と共に徐々にその声に慣れてくると、だんだんとその声に込められたパワーに圧倒されるようになる。ふと気がつくと、グッとくる物を感じながら聞き入っている自分がいる。昨年のサイトウ・キネンサロメもそうだった。不思議である。
 
 当初キャスティングされていたマルチェロ・ジョルダーニが落っこちた。知らないロイ・なんとかスミスという人が代わりに務めた。代役としてはよくやった。だが、まあ普通だ。
 ところがお客さんの反応はビックリするくらい良く、ブラボーが飛び交う。アメリカ人は、こういうピンチヒッターに非常に温かい。「急な変更にもかかわらずよくやったぞ!」と。「温かい」という言葉は良い言い方だ。「甘い」がぴったりだな(笑)。
 
 そのアメリカのお客さんに、この公演では相当悩まされた。怒りが湧いてきたほどだ。
 
 以前の記事にも書いたが、彼らは音楽を聞くことよりも見た目の面白さを優先させ、ちょっとした仕草や字幕にいちいち声を上げて笑うのである。おかげで西部の娘がすっかり喜歌劇になってしまった。
 例えば、第2幕、重症を負って階上に匿われたディック・ジョンソン、見つかってしまい「さあ降りてこい」とジャック・ランスに言われて、のろのろと階段から降りてくる姿で観客は爆笑。爆笑する場面か??
 それから、この劇の最大のハイライト、ミニーとジャック・ランスのポーカーの場面。ミニーが決死のイカサマでカードをすり替えて賭けに勝った所で、同じく観客は大爆笑。手を叩いて笑ってやがる。まるで二流寸劇のギャグを観ているかのようだった。ここの場面、プッチーニがいかにスリル満点どきどきの圧巻の音楽を築いているかをお前らは聞くことができないのか!?
「バカどもめ!」
大好きなこの作品を貶められた気分になって、私は奴らを呪った。
 
 シカゴは良い街だ。世界最高のオーケストラの一つ、シカゴ響。湖畔に栄える街。息を呑む摩天楼のビル群。至極のコレクションを誇るシカゴ美術館。「金さえ払えば美味しい」レストラン。一年中楽しめるスポーツ観戦・・・。また行ってもいいと思う。特にムーティが指揮するシカゴ響は、あわよくば再チャレンジしたいものだ。
 
 だが・・・。
 
 シカゴ・リリック・オペラはもういいや、これで。