クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2011/1/13 東京フィル

2011年1月13日  東京フィルハーモニー交響楽団   東京オペラシティコンサートホール
指揮  渡邊一正
望月京  むすび(東フィル100周年記念委嘱作品)
 
 
 当初この公演を振る予定だった指揮者大野和士は残念ながら降板。頚椎の病気により2月いっぱいまでのスケジュールを全てキャンセルしたそうだ。その予定の中にはバイエルン州立歌劇場の初登板(ナブッコ)もあった。大野さんはミュンヘンに留学してこの歌劇場で修業した時代があり、いわば凱旋となったわけで、そんな超一流歌劇場での晴れ舞台をキャンセルしたくらいだから、よほど状態が悪かったのだろう。「トリスタンで疲れちゃったから、東フィルはパスしちゃお」みたいな感じのわがままでもなければ、東フィルが軽くあしらわれたわけでもない。仕方がなかったのだ。
 
 だが、楽しみにしていたファンは大落胆だ。
 大野和士は今や日本の指揮者界の切り札的存在であり、客を呼べる数少ないビッグネームの一人。定期会員を除き、「指揮が大野さんだから」ということでチケットを買った人がほとんどだろう。
 その大野さんの代役が、こう言っちゃなんだが、大野さんに比べれば「▽※■♂☆」な渡邊一正氏になっちゃったら、そりゃ申し訳ないけどガッカリするわな。
 
 キャンセルが発表された瞬間、あっという間にネットオークション等でチケットが投げ売られた。まあ気持ちは分からんでもない。
 
 私は、というと、コンサートに行くのをやめる気はさらさらなかった。なぜなら、それは滅多に演奏されないショスタコ6番を聴くチャンスを失うことになるから。もちろん大好きなプロコ5番も。私の場合、曲の魅力は出演者に勝る。演奏者よりも、曲そのものと作曲者に対してより敬意を抱く。(ということは、もしそれほど好きではない曲だったら、私も気持ちが揺らいだかもしれない。もっとも、そういうプログラムだったらそもそもチケットを買わなかった可能性もある。)
 
 さて、ホールに入ってみると、案の定空席がちらほら目に付く。仕方ないよな。
 
 代役を引き受けた渡邊氏、勇気ある決断だったと思う。ファンの落胆は当然推測が付いただろう。本人自身きっと「大野さんの代役、オレでいいの??」と頭によぎったに違いない。(でなけりゃ、よっぽどの自信家か、あるいはちょー鈍感)
 
 話は横道に逸れるが、こういう時アメリカのお客さんってとても温かい。「よくぞピンチを救ってくれた!」「代役を引き受けてくれてありがとう!」「困難な代役を見事にやり遂げたぞ!エライっ!」と、拍手喝采
 
 これに対してヨーロッパ。特にイタリア。超シビア。「だったらやめちまえ!」「アカンアカン、引っ込め!」「金返せ!」「ブーブー!」・・・そこまでしなくてもいいと思うがのう。日本はちょうどその中間かな(笑)。
 
 さてその渡邊氏だが、十分落ち着き払っていて、慌てた様子が感じられない。最初から自分の公演であったかのごとく、曲を掌握している。私は即座に理解した。「これは急遽のピンチヒッターではないぞ。大野氏がヤバいことになってから、その事態に備えてかなり早くから打診されていたに違いない。」そもそも、世界初演の委嘱作品があるのに、「急遽ピンチヒッターで、直前リハやって、ハイ本番」なんてことあり得ないよね。
 
 オーケストラも、そんな指揮者の苦境を見事に救った。ショスタコもプロコも共に爆演。オケのやる気パワーがそのまんま音量に直結し、フォルテシモはホールの容量MAX。音楽的にやや安全運転で一本調子気味であったが、難曲だし、状況を考えれば十分とも言える。演奏終了後はいくつかブラボーも飛んだ。仕事しましたね、渡邊さん。
 
 一曲目の委嘱作品は、もうなんと申しましょうか・・・。
 音楽が始まるやいなや、私は苦笑だ。「でたよ、また始まったよ、お化け屋敷のBGMが」
 ふわあぁぁー・・・ひょおぉぉ~~・・・ふええぇー・・ト、トトットッ・・・ドタン!
 途中、なんか祭りだかお囃しのような音が出てきたが、だから何だ!?
 
 音楽はリズムとメロディーとハーモニーが三要素として成り立っている。学校で教わった。だが、現代音楽はメロディーを完全に排除し、規則性のないリズムと新種の響き(ハーモニー)だけで形作られている。だとしたら、そんなの音楽じゃない。ほとんどリズムだけと言っていいラップミュージックと何が違うのだ?
 作曲家の自己満足の実験(単なる目新しい響きの開発)に付き合わされ、戸惑う観客。上を向く人、うつむく人、目をつぶる人、プログラムを読み始める人・・・。
 
 現代音楽がコンサートのプログラムに組み込まれる唯一のメリット。それは、その次の曲目(この日の場合、ショスタコ6番)が、旋律に満ち溢れた非常に美しい音楽に聞こえることである。