ブリテン 戦争レクイエム
指揮 シャルル・デュトワ
合唱 東京混声合唱団、NHK東京児童合唱団
イギリスの作曲家ブリテンの強い願いが込められた、並々ならぬ意欲作。
この曲が特にユニークなのは、曲の中に、死者を弔う鎮魂歌と、「戦争とはいったい何なのか」を問うた詩(第一次世界大戦に出兵し、25歳の若さで戦死した詩人による)を織り交ぜていること。前者はソプラノによりラテン語で歌われ、伴奏をフルオーケストラが担う。後者はテノールとバリトンにより英語で歌われ、伴奏を小編成オーケストラ(アンサンブル)が担う。
それぞれをステージ上のどこに配置するかは公演によって異なる。おそらく音響や演奏効果を考慮して指揮者が決めると思われる。
今回のN響では、小編成オーケストラを、指揮者を取り囲む最前列弦楽トップ奏者の位置に配置させていた。その結果、この日のコンサートマスター‘まろ’篠崎さんが二列目に座ることになり、通常のコンマス席にトゥッティ奏者が座ることになったが、指揮者デュトワが一人飛び越えて後ろのコンマスさんと握手する様子がいつもの光景と違って面白かった。
ラテン語ともう一つ別の言語を織り交ぜる曲は、他にマーラー8番もそうだが、結局ラテン語にしても英語にしても我々にとっては両方外国語で、聞き分けて理解できる人なんてほとんどいないだろうし、更に対訳字幕スーパーではどちらも「日本語」になってしまうので、作曲家が目指した効果が得られるかはやや疑問である。そもそも解説書を読まない限り、そんなこと全く気がつかない人がほとんどだろう。
ただ、ブリテンがこのように二か国語に切り分けたのは、当然のことながら明確な意図がある。レクイエムは一般的に、死者と残された者の双方の魂を鎮めるための歌とされ、通常ラテン語の典礼文で歌われるが、要するに、「戦争での死者の場合はそれだけでは足らない、更に我々は踏み込んで『戦争とは何か』を考えなければならない」ということだろう。一瞬にして無理やり命を奪われるという点で、病気や老衰による一般の死とは全く異なるのだ。同じく戦争で深い傷を負った過去を持つ我々も、このメッセージを重く受け止めるべきだと思う。
3人のソロ奏者も素晴らしかった。巨大なNHKホールいっぱいに響いた声は偉大だった。
そして諸兄、お気づきであろうか。
それにしても、この曲は重苦しい。
ヴェルディやモーツァルト、フォーレ、ブラームス、ベルリオーズなど他の有名なレクイエムは、どれも美しいメロディによって魂を癒そうとしているが、ブリテンの場合はそんな慰めを拒んでいる。ただひたすら嘆き、叫び、問いかけるのだ。
重苦しい。でも、それに向き合わなければならない。