モーツァルトの最初の一音を聴いただけで、「これはレベルが違うな」と感じた。キリリと引き締まった音。ステージ上にみなぎる緊張感と集中力。会場全体がぴんと張り詰めた空気に支配されている。ただならぬ様相に、思わずゴクリと唾を飲んだ。
N響の奏者全員が個々の精力を傾け、全身全霊を捧げている。100%、いやそれ以上の献身で音楽に向き合い、巨匠と対峙している。
ライブならではの即興性、偶然性は、はっきり言って皆無。モーツァルトにしてもチャイコフスキーにしても、すべてブロムシュテットがリハにおいて念入りに仕組んだことの再生である。N響の面々は、音楽的にはただ忠実に指揮者に従っただけにすぎない。
にも関わらず、絶句するほど驚嘆したのは、その完成度があまりにも高かったからだ。
これはN響が出来る最大級の演奏だろう。これ以上は、おそらくない。「ついにここまで来たか」と思った。「このレベルまで行くことが出来るのか」とも思った。
奏者全員が同一方向性に向かい、能力がMAXにまで極まった時、人間の集団というのはこんなにも高次元な領域に到達するのである。
この奇跡は、指揮者とオケの30年以上にわたる創造的なコラボレーションを経て成し得た必然。一朝一夕では決して生まれない貴重なもの。熟成絶頂の期を迎えた今、N響はブロムシュテットに、ブロムシュテットはN響に、最大限の敬意を払い、全幅の信頼を寄せ合っている。
演奏後にこのような両者が互いを讃え合う美しい光景を見ると、涙が出るほど感激する。それが単なる形式的な儀式ではないことくらい、誰が見ても分かる。演奏も感動的だったが、カーテンコールもまた感動的だった。
オーケストラが退場した後も、指揮者のソロ呼び出し。起立して拍手喝采を送ったおそらくすべての聴衆が「ブロムさん、頼むからまた来年も来てください」と願ったことだろう。
その念は、マエストロにしっかり届いたはずだ。大丈夫、きっとまた来てくれる。