クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

ショパンコンクールの思い出2

 ダン・タイ・ソンが優勝し、ポゴレリッチが‘入賞できなかった’第10回から5年。1985年第11回は、ピアノを愛する日本人にとって空前で画期的で衝撃的な大会となった。5年に一度行われる世界で最も有名なコンクールにNHKが潜入し、その激闘の記録を映像に収め、番組として製作し、放送したのである。
 
 番組は、最難関のピアノコンクールとして世界中から腕に自身のある若者が集まって熾烈な競争を展開すること、ピアニスト個人の人生を賭けるだけでなく国家の威信までも背負った壮絶な闘いになること、日本からも多数の参加者が臨んでいること、日本のピアノメーカーにとっても重大な挑戦であること等、舞台の表と裏の両面にわたって克明かつ鮮明に伝えていた。
「コンクールとはいったいどういう物なのか?」
 初めて(?)その全貌全容が明らかになったと言っていい素晴らしいドキュメンタリー、NHKの力作であった。
 
 この大会で、驚異的なテクニックで他者を凌駕し、聴衆と審査員双方の圧倒的支持を得てブッチギリ優勝したのが、ご存知旧ソ連出身のスタニスラフ・ブーニンであった。
 
 番組は、冒頭からいきなり視聴者を釘付けにする。
 映像とBGMはブーニンが演奏する「革命」エチュード。挑戦し敗れ去る多くの参加者の姿をフラッシュバックさせながら、圧勝で栄冠を手にした一人の若者を浮かび上がらせる。そこに、日本から審査員として参加した高名なピアニスト園田高弘氏(故人)が、まるでバケモノを見たかのような表情でこう述べる。
 
「私が思うに、彼は100年に一人の天才だ。」
 
 視聴者は色めきだった。世紀のスーパースターの出現を盲信してしまったわけだ。これが世に言う‘ブーニン現象’の発端である。
 
 確かに彼は、天才と見紛ういくつかの要素、バックグラウンドを持ち合わせていた。
 名高いピアニスト一族の直系サラブレッドであること、旧ソ連という音楽大国が満を持して送り込んだ刺客かつ絶対的切り札であったこと、生い立ちから成長の過程はソ連の厚いヴェールに包まれ謎めいていること、そして何よりも、クールで気難しそうで近寄り難い、まさに‘天才のオーラ’がぷんぷん漂っていたこと・・・。
 
「100年に一人の天才を実際に見てみたい、聴いてみたい」
番組を見た多くの愛好家がそう思ったはずだ。
 
何を隠そう、このワタクシもその一人。たかだか一時間程度の音楽ドキュメンタリー番組を見ただけで、ブーニンのオーラにクラクラしてしまい、まんまと騙されてしまったというワケさ(笑)。
 
津波のごとく、恐ろしい勢いでブームが押し寄せてきた。「火が付いた」とはまさしくこの事だった。
程なくして彼は来日するが、その人気は想像を絶した。チケットは瞬時にして売り切れ。たくさんの女性ファンが彼を追っかけ、取り囲み、プレゼント攻勢をかけた。普通のコンサートホールでは収まりきらない。やがて日本武道館や相撲の国技館(!)などで演奏するようになった。
 
 こうなってくると、もう私としては手に負えない。完全にお手上げである。眉をひそめ、「やれやれ」と呆れ、ため息をつくだけだ。ブーニンはピアニストではなく、アイドルになってしまった。
 
 ブームは去る。
 日本でヴェールどころか身ぐるみ剥がされ、食べ尽くされて「もうこれで終わり?あとは何かないの?」と放り出された瞬間、にわかファンはさっと引いていった。
 その間、コアなクラシックファンも徐々に「100年に一人の天才」というキャッチフレーズはいくらなんでも大げさすぎるということに気が付いていった。
 
 私がブーニンの生公演を体験したのは、一大ブームがようやく落ち着いた5年後の1990年9月だ。しかもリサイタルではなく、N響の定期公演。たまたま真ん中のプログラムの協奏曲ソロ奏者がブーニンだったといもの(ラフマニノフP協2番)。
 疾風のごとく駆け巡る鍵盤上の指の動きは依然として鋭く、非凡な才能を垣間見ることが出来た。一方で、独特で変則的なアクセントの付け方に「そういう姑息な技はやめたらどう?色モノじゃないんだからさ」と呟いた。
 
 ブーニン。頂点の極めがあまりにも急すぎた。真の巨匠へはまだまだ茨の道だ。だが、クラシックは息が長い。50歳60歳でようやく花開くこともしばしば。ブーニンだって、進化が問われるのはある意味これからかもしれない。彼なら出来る。だってそうでしょう、もともと稀有の才能の持ち主なのだから。歴史上たった15人しかいない「栄光のショパンコンクール優勝者(第一位)」なのだから。
 
 それにしてもあのブーニンブームはいったいなんだったんだろうか?
 折しも、日本経済は活況を呈し始め、まさにバブル期に突入しようとしていた。つまり、音楽ファンも含めて日本全体が「浮かれていた」ということか・・・。