むかしむかし、私が高校生の時。
1980年第10回、そんなすんごいコンクールで、ベトナム人が優勝したというニュースを聞いて、事情をよく知らない埼玉の高校生くんは本当に驚いた。「世界最高のピアニスト(繰り返すけど、勝手にそう思っていただけよ)がベトナム人??」ってなわけ。まことに失礼ながら、「ベトナムにクラシック音楽があるの??」という差別的偏見がありありだった(本当にゴメン)。
同時に、この大会で、もう既に世界のトップ演奏家だったアルゲリッチが、一人のユーゴスラビア人が本選に進めなかったという理由で審査員を途中で辞して帰国してしまったというニュースを聞いて、二度びっくりした。「だって彼は天才よ!」が捨て台詞だったという。
クラシックの中心はドイツやイタリアやフランスなどだと思っていた私は、辺境からやってきたベトナム人とユーゴスラビア人がいったいどういう演奏をしたのだろうと、もう気になって気になって、夜も眠れなかった。(ウソ。ぐっすり寝てました(笑)。)
そんなある日、ショパンコンクールライブのレコードが発売された。二枚組で、その中に4人の演奏が録音されていた。普通なら入賞上位4人の演奏の録音になるはずなのに、まるでこちらの意を汲んでくれたかのように前代未聞のスキャンダルの当事者の演奏もちゃんと入っていた。もちろん、飛びついて買い、かじりつくように聴いたのは言うまでもない。
優勝したベトナム人の演奏は確かに素晴らしいと思ったが、それ以上にこのユーゴスラビア人の演奏に魅せられた。いや、演奏もそうだったが、そのレコードジャケットに写っていた、まさに異端児らしくこちらをじっと睨みつけるような眼差しの写真が脳裏に突き刺さった。「天才というのはこういう顔をしているのか・・」と戦慄を覚えた。
「イーヴォ・ポゴレリッチ」
この時以来、現在に至るまで、私にとって決して無視することが出来ない、常に注目しているピアニストであり続けている。誰にも真似できない狂気の演奏スタイル。これでもかというくらい遅い地獄のテンポ。そう、彼は「悪魔」だ。
あの時のコンクールで、彼を予選で落とした審査員は正しい。そして、それに異を唱えたアルゲリッチもこれまた正しい。こんなピアニスト、他にいるか? とにかく「だって彼は天才よ!」なのだ。