クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2010/8/13 神々の黄昏

 時が経つのは早いもので、ついに最終演目の日になった。
 
 この日、ザルツブルクからの移動は乗り換えも含めて順調で、ほぼ予定通りの時間にバイロイトに到着した。午後1時、さっそくホテルにチェックインしようとしたところ、まだベッドメイクが済んでいないということで、「あと15~20分ロビーでお待ちください。」と告げられた。
 ところが、30分、40分経っても一向に声が掛からない。フロントの係は「今、やらせているところですから、もうしばらくお待ちください。」といって取り合ってくれない。1時間経過。いい加減に頭に来て「どうなっているのか!」と文句を言ったら、その係の人、何て答えたと思う?「もともと、うちのホテルのチェックイン時間は午後3時からなんですっ!」だってよ・・・。
「だったら、最初からそう言え!『15~20分』なんて言うな。言った以上、その発言にしっかり責任を持て!そう言って客を待たせる以上、それを最優先でやるのがプロのサービスというものだろう!」
 
 
 と言えれば良かったのだが・・・。
 外国語では言葉が出てこなかった。こういう時、いつも語学力不足を痛感する。くっそ~。
 
 残念なことがもう一つ。天気が下り坂だった。祝祭劇場に着いた頃から本降りになり、そのまま終演まで止むことはなかった。いつもなら開演を告げる金管ファンファーレを聞くために観客がバルコニー付近に集まるのに、さすがにこの雨では誰も集まらない。華やかであるはずのファンファーレも、宴の終わりを告げるかのごとく、どことなく哀調を感じさせた。 
 
2010年8月13日  バイロイト音楽祭
ワーグナー  楽劇ニーベルングの指環より第三夜  神々の黄昏
指揮  クリスティアンティーレマン
管弦楽  バイロイト祝祭管弦楽団
演出  タンクレード・ドレスト
ランス・ライアン(ジークフリート)、ラルフ・ルーカス(グンター)、エリック・ハーフヴァーソン(ハーゲン)、アンドリュー・ショアー(アルベリッヒ)、リンダ・ワトソン(ブリュンヒルデ)、エディット・ハッラー(グートルーネ)  他
 

 哀調、もの悲しさはあくまでも劇場の外のこと。
 この日も、ティーレマン率いる祝祭管弦楽団は熱気を帯び、ますます力強さを見せ、圧倒的迫力である。特に、第一幕、ジークフリートブリュンヒルデの二重唱からラインへの旅、そしてグンター家に至るまでの音楽の煌めきたるや、まさにティーレマンの真骨頂。磨き尽くされた演奏で、もう完全に脱帽。
 この美麗流麗な演奏を覆いで被せてしまうのは実にもったいない。コンサート形式でいいから、舞台の上から鳴る響きを一度聴いてみたいものだ。(かつて、東京でそれが実現しているのだが・・・。)
 
 歌手陣に関しては、ハーゲンのE・ハーフヴァーソン以外は再登場で、そのハーフヴァーソンも以前ウィーンで同役を聴いていたことから、この日、特段新たな発見は見当たらなかった。
 エディット・ハッラーは今回のリング大活躍。フライア、ジークリンデ、そしてこの日も第3のノルンとグートルーネの二役をこなす。だが、ジークリンデの体当たり的な熱唱に比べると、この日の二役はやや生彩を欠いた。ジークリンデが素晴らしすぎた。っていうか、ジークリンデという役そのものがひょっとすると‘おいしい’のかもしれない。
 
 演出も基本的にこれまでの流れを汲んでいる。グンター家の家来たちが、なぜかパーティに招かれたお客の紳士淑女。最後にブリュンヒルデの自己犠牲によってワルハラ炎上となるが、炎上するのはワルハラではなくそのパーティ会場で、紳士淑女たちが大火事に慌てふためいてばたばたと逃げ出す。自然災害や、思わぬところで発生し原因が不可解な事故や火事は、妖精のいたずらのごとく、実は我々の見えないところでうごめいている神々たちの仕業で、それはすなわち現代人に対する警告なのだ、と私は勝手に解釈した。
 
 バイロイトの指環がこれで完結した。旅行前に「4演目を制覇したら、きっと果てしない充実感を覚えるだろうなー」と想像していたが、こうして終わってみて、それほどでもないことに気付いた。別に物足りなかったわけではない。十分すぎるくらいに素晴らしかったし、楽しかった。
 それなのに、充実感に満たされていないのは、「もっともっと体験したい、他のワーグナー作品も聴きたい」という強い欲求がかえって芽生えてしまったからだ。
 
「アウフ・ヴィーダーゼーン。ただし、絶対また来る。」と心に誓い、劇場を後にした。