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2016/11/12 ウィーン国立 ワルキューレ

2016年11月12日   ウィーン国立歌劇場   東京文化会館
指揮  アダム・フィッシャー
演出  スヴェン・エリック・ベヒトルフ
クリストファー・ヴェントリス(ジークムント)、アイン・アンガー(フンディング)、トマシュ・コニェチュニー(ヴォータン)、ペトラ・ラング(ジークリンデ)、ニーナ・シュテンメ(ブリュンヒルデ)、ミヒャエラ・シュスター(フリッカ)    他
 
 
東京でこれだけ本格的な「ワルキューレ」が鳴り響いたのは、ものすごく久しぶりではないだろうか。頻繁に来日公演を行っているウィーン国立歌劇場でも、ワーグナーを持ってくるのは1989年のパルジファル以来。つまり、なんと27年ぶりである! 我々聴衆側に気合が入るのは当然のこと。三公演の中でこれだけが格安チケットが手に入らず、仕方なく大枚をはたいてしまったが、納得は出来るというものだ。(うん、そうだ、納得しよう、そうしよう・・・。)
 
ピットに入っているウィーン国立歌劇場管弦楽団ウィーン・フィル)は、当たり前だが、上手い。バイロイトでも、ミュンヘンでも、ベルリンでも、本場と言われる場所で聴くワーグナーはどれもこれも上手いのだが、ウィーンのワーグナーは演奏に慣れている感があって、鳴らし方というか、音楽の流れの作り方というか、そういうのに独特の流儀を感じ取ることができる。まあ要するに、これがいわゆる「伝統」ってやつなのだろう。
 
アダム・フィッシャーは、そうしたウィーン国立歌劇場での仕事の仕方をばっちり知っているようだ。
全体の調子を掴み、流れを作り、方向性を示したら、あとはひたすらオーケストラに機動性を与えつつ、一緒に音楽に乗っていけばいい。
日本シリーズを制した日本ハムの栗山監督が「監督は、選手をどれだけ信じられるかに尽きる」と話していたのを思い出す。フィッシャーにも、そうした懐の大きさが感じられる。だから、安心して聴いていることが出来る。
 
だからと言って、すべてを任せて何もしていないということは、決してない。
時折立ち止まり、立ち上がってテンポを揺らし、最深部を覗こうとしている。そこで音楽がまた一つ動く。そうした妙が味わいを濃くしている。
 
ソリストの歌手については、敬意を表し、一人ひとりに賞賛のコメントを差し上げることとしたい。
 
ヴォータンのコニェチュニー。
いくつかの役を聴いているが、ヴォータンが一番合っていると思う。スケールの大きさという意味において、神々の長に適役。第二幕のモノローグ「ただ一つ望む物、それは終末だ!das Ende!」ここの部分、ばっちり決まったね!
(「終末」をワープロ変換したら、最初に「週末」と出てきて、「おお、これは私のただ一つ望む物だ!」と思ってしまった(笑)。)
 
フリッカのシュスター。
シュスター様、私は日頃より貴方様を非常に高く評価しています。フリッカも素晴らしかったですが、貴方様のクンドリー、オルトルートも最高です。
 
ジークムントのヴェントリス。
ジークムントを歌うという意味で立派なヘルデンテノールは数多いるが、ヒロイックでありながら苦しみがあり、悲劇的であり、運命に導かれて死に向かっていくジークムントを演じたという意味で、「ベスト」と言わせていただく。
 
ジークリンデのラング。
役に没入し、歌がとても感情的だった。聴いていてジークリンデという役に心から共感できた。
 
ブリュンヒルデのシュテンメ。
真打ち登場。この日を首を長くして待っていた。現在、世界最高のブリュンヒルデ、世界最高のイゾルデ、世界最高のエレクトラ。輝かしく、純度の高い宝石のような歌声。大げさと言われようが、構わない。この声は「奇跡」と断言させていただく。来年3月末には同じくウィーン国立歌劇場でついにクンドリーを手掛ける。飛んでいきたい。できることなら彼女のすべての役、すべての公演を聴きたい。
 
以上。
 
ん? コメントしていない人がいる? まあこの辺で許せ。
 
ついでに演出についても、コメントはなしということで。