2014年5月4日 ライン・ドイツ・オペラ デュイスブルク
指揮 ルーカス・ベイキルヒャー
演出 クルト・ホレス
コービー・ウェルシュ(ジークムント)、サミ・ルッティネン(フンディング)、トマシュ・コニェチュニー(ヴォータン)、マヌエラ・ウール(ジークリンデ)、リンダ・ワトソン(ブリュンヒルデ)、レネ・モルロク(フリッカ) 他
「見どころが何もない」とこき下ろしてしまったデュイスブルクだが、写真のとおり劇場はなかなかの威容を誇っている。建物を前にして思わず「おお!」と見上げてしまった。これなら十分にデュイスブルクのランドマークとして役目を果たすことが出来るだろう。(噴水オブジェもいいけどさ)
オペラハウス(実際は演劇なども行われる文化施設)が街の中心部に堂々と建ち、その存在はきっと市民にとって大切な財産になっている。素晴らしいことではないか。
立派な外観に比べると、内部はやはりというか、サイズ的にちょっと小さいと感じる。客席数はおよそ1100。オケピットはワーグナーなどに必要な大規模オーケストラを収容するには明らかに狭い。物理的な問題によりピットに入る奏者の数は削られる。役割上、管楽器パートを減らすことが出来ないので、その分弦楽器が割を食う。
薄っぺらい響きになるのは避けられないのかなと予想したのだが、意外にもそうした印象はあまり受けなかった。ワーグナーらしい重厚感は味わえた。これは、オーケストラも指揮者も、劇場規模に応じた鳴らし方というものを熟知しているからだろう。こうしたところからも、劇場の伝統というものを感じずにはいられない。
ちなみに当劇場は創設100年を誇る。小さくても決して侮れないのである。
特にコニェチュニーの上手さといったら。
いやさすがの貫禄だった。一人図抜けていた。張りのある声、堂々とした演技、陰影のある音楽表現・・・もう完璧である。
御存知のとおり彼はちょうど一月前、東京で見事なアルベリヒを披露し、日本のワグネリアンを唸らせたばかりだ。指環において重要な両役を手中に収めているのは強みであるに違いない。どちらの役でも、世界のどこに行っても通用する。
2年後、ウィーン国立歌劇場の引っ越し公演が予定され、ワルキューレが予定演目の一つになっているが、ひょっとするとヴォータンはコニェチュニーかも。だとすれば、これは期待できる。(ついでに、ブリュンヒルデはシュテンメがいいなあー)
リンダ・ワトソンは、バイロイトで聴いた時と印象が変わった。良く言えば、肩の力が抜けてややソフトになり、柔軟性を備えた感じがする。悪く言えば、ワーグナー・ソプラノとしての輝かしさや力強さに陰りが見える。ひょっとすると、劇場のサイズに歌い方を合わせたのかもしれないが。
ジークリンデのマヌエラ・ウールは歌い方がとてもチャーミング。どことなく私が敬愛するH・ベーレンス先生の歌い方に似ていて、個人的に好印象。対してジークムントのウェルシュはシャープさに乏しく、音程も甘くてイマイチであった。
演出は概ねオーソドックス。特色としては、舞台を貴族の館に移し、その館の中で物語が展開するということ。時代的には1920年代頃だろうか。
確かにヴォータンを主とする神々の一族は終焉に向かうわけで、これと中世から続く欧州貴族の没落と消滅というのを合わせたということかもしれないが、アイデアとしてはそれだけだ。
もっともホレスという演出家は前衛演出家ではなく、一時代前の穏当旧派に属する。今回のプロダクションも結構前のものだというし、訳の分からない奇抜な舞台にはならないだろうという見当は最初から付いていた。
終演は午後10時を回った。劇場を出て、旅行最後の晩、どこか美味いメシでも食おうと思ったのだが、開いているレストランが見つからなかった。そう言えば日曜だったことを忘れていた。
もちろんくまなく探せばどこかにはあっただろうし、こういう時こそ持参したタブレットでネット検索すれば何か見つかったかもしれないが、もう面倒くさくなってしまった。
駅に行き、ピザと缶ビールを調達。ホテルの部屋で一人食った。なんてわびしいんだ。わびしすぎる。
買ってきたビールだけでは飲み足らず、部屋のミニバー(冷蔵庫)からも取り出して、ヤケ飲み続行。
くぅーっっ、寂しすぎる。ちくしょー。
でもビールは美味い。くぅーっっ、ちくしょー(笑)
(誰か何とかしてくれ、このオヤジ)