2009年9月4日 ミラノ・スカラ座 NHKホール
ヴェルディ アイーダ
指揮 ダニエル・バレンボイム
演出 フランコ・ゼッフィレッリ
カルロ・チーニ(エジプト王)、エカテリーナ・グバノヴァ(アムネリス)、ヴィオレッタ・ウルマーナ(アイーダ)、ヨハン・ボータ(ラダメス)、ジョルジョ・ジュゼッピーニ(ランフィス)、ファン・ポンス(アモナスロ) 他
第2幕第2場の華やかな凱旋の場にどうしても目を奪われがちだ。そうなると「とても豪華でした!」という感想で終わってしまう。
このオペラの本質は別にある。
(私に言わせれば、凱旋の場は‘付録’にしかすぎない。)
『苦悩』である。
二つの苦悩。
一つは「祖国(及び父親)を取るか、恋人を取るか」という究極の選択を迫られるアイーダの苦悩。
もう一つは、‘たった一つ’を除く全てを手中に出来る絶大な力を持っているのに、そのたった一つを手に入れられないアムネリスの苦悩。もちろん‘たった一つ’とは「愛」である。
この本質にどこまで迫れるかが、このオペラ上演成功の鍵だ。
指揮者バレンボイムが、そこに向かってアプローチを仕掛けていることは明白だ。
ステージ上の見た目の派手さとは裏腹に、バレンボイムは悲痛なほどの弱音(ピアノ)で主人公たちの心情に迫る。また、その弱音を紡ぎ出すスカラ座管のうまいこと!ピットから奏でられるビロードのような上質の伴奏が、歌声に寄り添う。叙情的な美しさが琴線に響き、そのたびに涙腺が刺激される。
三角関係の構図が表現される第一幕と、第三幕のアイーダ(ウルマーナ)の祖国を想うアリアがこの日のハイライト。素晴らしいの一言。
逆に私が一番好きな第四幕のアムネリスの苛立ち、苦悩の場面は、グバノヴァにもう一押し表現力のアップを望みたい。(おそらく現在最高のアムネリス、ディンティーノが落ちてしまったのは残念。)
ゼッフィレッリの演出。
一見豪華だが、豪華なのは舞台装置と衣装のみ。見た目に騙されてはいけない。大きな意味でこれらも含めて演出だが、演技に関して言えば、何にもしていないに等しい。
まあ、舞台装置&衣装付コンサート形式上演と思えばよろし。
第三幕開始でバレンボイムが登場すると、一人の輩から「ブー!」が飛んだ。気に入らないと考えるのは個人の自由だ。私だって、いろいろ思うことは多々ある。だが、感動している人がたくさんいる衆目の中で露わにするとなると、話は変わってくる。
何を持って気に入らないのか。じゃあ聞くが、「これ以上のものを、いったい世界のどこで聴けるというのか?」
どうせ、自分が勝手に気に入っている往年の誰だかのCDの演奏と比べて気に入らないの程度だろう。いろいろな解釈を受け入れる度量、容量が狭いと自ら告白しているに過ぎない。かわいそうな人だ。
これからアイーダをご覧になる方は、是非、上記の「苦悩」に対するバレンボイムのアプローチをしっかり耳立ててください。必ず、心にしみます。