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2019/5/30 マクベス

2019年5月30日   ベルリン州立歌劇場
演出  ハリー・クップファー
プラシド・ドミンゴマクベス)、エカテリーナ・セメンチュク(マクベス夫人)、ルネ・パーペ(バンクォー)、セルヒオ・エスコバル(マクダフ)、アンドレス・モレノ・ガルシア(マルコム)   他
 
 
長い改修工事、度重なる工期延長を経て、ようやく上演シーズンが再開。シュターツオーパー・ウンター・デン・リンデンは復活した。私もこの劇場での鑑賞は14年ぶりである。ちょー久しぶり。
 
再開後の演目の中でひと際注目を浴びたのが、このマクベス新演出だった。プレミエは昨年10月(だったかな?)。何といっても、バレンボイム指揮でドミンゴネトレプコの豪華共演というのが話題になった。舞台は収録され、映像はNHKプレミアムシアターでも放送された。ご覧になった方もいらっしゃるだろう。
 
今回はその再演である。ドミンゴは引き続き登場。ネトレプコは交代となり、代わりにセメンチュク。バンクォー役も、クワンチュル・ユンからパーペに。
グレードが下がったとは決して思わない。チケット代はびっくりするくらい高かった。再演なのに、他のプレミエ演目よりも高いのだ。
 
やっぱりドミンゴの出演なのだと思う。スーパー・スター、ザ・レジェンド。
 
さすがにいい歳だ。バリトンに移行したとはいえ、衰えが散見されてもおかしくない。私も鑑賞前までは「過大な期待は禁物」と自らに言い聞かせていた。
 
とんでもなかった。依然として素晴らしい。
長年の経験を生かした熟練の演技による存在感が際立っているが、それだけではあのオーラは出ない。
一声聴いただけで誰もがすぐにドミンゴと認識する歌唱。その歌声の健在こそが、輝かしさに一層の磨きをかけているのだ。間違いない。
 
それにしても、信じられない芸術家である。
既に頂点に到達し、栄光を手に入れた。名声は余りある。持っているレパートリーを切り売りするだけでも十分なはずだ。
だというのに、いまだに新たな役に挑戦し、レパートリーを増やし続けている。そのパワーとエネルギーはいったいどこから来るのか。
 
ドミンゴと同じ時代を生き、ドミンゴの歌をこうして聴くことが出来るのは幸せである。
さすがにもう少なくなっていると思うが、マリア・カラスを生で聴いた人は羨望の的だ。だが、いつか「ドミンゴはすごかった」と誇らしげに語る時、生で聴けなかった世代から羨ましがられる時代がきっとやってくるに違いない。だからこそこの鑑賞体験は貴重だ。
 
もう一人の主役マクベス夫人を歌ったセメンチュク。彼女もまた圧倒的な歌唱で聴衆を釘付けにした。
彼女ならこれくらいやるだろうと思っていた。一昨年のザルツブルク、世紀の公演と言われたアイーダで、ネトレプコやメーリと張り合ってアムネリスを歌った彼女は、その時絶賛された。
人の心を射抜くような鋭い眼光を浴びせながら歌う姿は、恐ろしいほどの貫禄。今回もドミンゴ相手に一歩も引かない堂々たる歌唱だった。
 
バレンボイムヴェルディは、良くも悪くも個性的だ。
スカラ座の時からそうだったが、これが伝統的なヴェルディの系譜かと言えば、ちょっと違うような気もする。
でも、自己流を貫き、信念をもって革新の道を切り開こうとするそのやり方は、実に潔く、そしてかっこいい。これほどまでに説得力がある音楽を、いったい他に誰が作れるというのだろうか。
 
その強権的な手法で、一時パワハラ問題が勃発。どうなることかと思ったが、どうやら立ち消えた模様。
語弊があるかもしれないが、強権的な強い導きがあるからこそ生まれる音楽があるのだ。今の時代、そういう指揮者は見かけなくなった。バレンボイムはもう絶滅危惧種なのかもしれない。