クラシック、オペラの粋を極める!

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2014/12/13 フィデリオ

2014年12月13日   ミラノ・スカラ座
演出  デボラ・ウォーナー
アニヤ・カンペ(レオノーレ)、クラウス・フローリアン・フォークト(フロレスタン)、ファルク・シュトルックマン(ドン・ピツァロ)、クワンチュル・ユン(ロッコ)、ペーター・マッテイ(ドン・フェルナンド)、モイツァ・エルトマン(マルツェリーネ)、フローリアン・ホフマン(ヤキーノ)  他
 
 
 14-15新シーズンの最初に選ばれたフィデリオ。ここには、単に開幕を飾る公演という意味だけではなく、実は重大な位置付けが含まれていた。
バレンボイム音楽監督として最後の演目」だということだ。
 新シーズンがスタートしたばかりだというのに、この音楽監督はプレミエを振った後、もう他のラインナップを振る予定が入っていない。
 今回私がどうしてもミラノに馳せ参じたかった理由、それは素晴らしい歌手が揃ったキャストに目が眩んだからではなく(もちろん多少は眩んだけどね)、勇退にあたりバレンボイムが最後の足跡をどのように刻むのか、スカラ座の聴衆はバレンボイムの功績をどう評価するのか、これらをしっかりこの目(と耳)で確認したかったからである。
 
 思い返せば、「スカラ座のマエストロ」なる摩訶不思議な称号とともにミラノに迎え入れられたのが2007年。ワーグナー指揮者として名を馳せた南米出身のイスラエル人がイタリアでいったい何が出来るというのか。当時は、多くのオペラファンが少々首を傾げるところからの手探りスタートだったと推測する。
 
 しかし、そこらへんはさすがバレンボイムだった。
 「イタリア・オペラが振れるのか?」「ミラノのうるさい聴衆を黙らすことが出来るのか?」といった雑音には一切耳を貸さず、何度となく得意のワーグナーを採り上げ、堂々と我が道を貫いた。インタビューで「スカラ座はイタリア・オペラの総本山ですが・・・」などと質問されようものなら、「NO、NO、フルトヴェングラートスカニーニカラヤン以来、ここスカラ座においてもワーグナーの潮流は固く守られている」と、ムキになって答えていた。
 こうして最後にやっぱりドイツ・オペラを持ってきたのも、バレンボイムの強烈な意地とプライドの賜物なのかもしれない。
 
 
 冒頭、軽快なフィデリオ序曲かと思いきや、重々しい和音が鳴り響いた。なんと、レオノーレ序曲ではないか!しかもお馴染みの第3番ではなく、第2番ときた。いきなり予想外のパンチにたじろいだ観客も多かっただろう。私も、生で初めて聴いた。
 しかし、その後の展開は奇を衒うことなく堅実で、知らず知らずのうちに音楽に引き込まれていく。
 
「隙がない。一瞬たりとも弛緩がない。音楽がギュッと凝縮されている。」
 
 今回のフィデリオの感想だ。
 最初から最後まで、さらりと流した箇所が一つもない。このため、オペラを観つつ考え事をしたり、あるいはぼーっとしたり、といった時間を過ごすことが殆どなかった。極度の集中を求められた濃密な2時間半だった。
 
 これこそがバレンボイムベートーヴェンである。
 聴き手に余地を与えるような音楽作りではないのだ。スコアにある素材を余すところなく取り出し、それを100%ストレートにぶつける。出てくるすべての音符やフレーズには監視を怠らず、妥協を排したこだわりの音楽を展開させる。全体の構成は揺るぎがなく盤石で、響きは厚く多層的。それはまるで壮大な宇宙を織り成す一連の交響曲群へのアプローチであるかのようだ。
ひょっとして、フィデリオベートーヴェン交響曲の続編だったのか?
まあそれは少々飛躍しすぎかもしれないが、いずれにしてもこれがバレンボイムの音楽なのだ。
 
 フィナーレの合唱、高らかな人間賛歌、たいていの指揮者が高揚する音楽に飲み込まれてしまい、熱く大きく歌わせるというのに、ここでもバレンボイムは努めて冷静に、感興に溺れず、脇を固め、バランスを取り、響きにこだわっていた。全体を見渡し、統率する眼光は最後まで鷹のように鋭かった。
 
 終わってみれば、「これほど花道として相応しい音楽はなかったのではないだろうか。」と頷けるものだった。彼がなぜ最後の演目としてフィデリオを取り上げたのか、その答えは音楽でしっかりと語ってくれた。バレンボイムは己の流儀を示し、結論を導き出し、総決算として締め括り、そして静かにタクトを置いた。
 
聴衆は熱狂した。絶大的にマエストロを讃えた。
バレンボイムは、スカラ座の輝かしい歴史に自らの軌跡をしかと刻んだ。この事実を見届けることが出来て、私は「イタリアに来た目的を果たした」と思った。
 
演出について。
時代を現代に移し替えているものの、基本的にはオーソドックスである。
 
 大きなポイントとしては、収監されている囚人たちの懲役というより、世界のどこかで行われている地下の強制労働の世界として扱っていた(ように見えた)こと。
 もしそうであれば、ラストは囚人たちの釈放ではなく、不当な強制労働からの解放とみなすことが出来、より現代の世界が抱える問題にメスを入れた形となろう。
 
 その他、細かい点で気が付いたこととしては、①レオノーレがフロレスタンの命を救うためドン・ピツァロに突き付けた拳銃は、実はおもちゃだったこと、②最後に逃亡を図るドン・ピツァロは逃げ切ることが出来ず、追手にピストルで殺されること、③レオノーレとフロレスタンが夫婦であることを知ったマルツェリーネは、ヤキーノの好意には感謝しつつ、求婚に対してははっきり拒絶の態度を示して立ち去っていくこと、などなど。まあ、いずれも演出上の些細なポイントだ。
 
 歌手についてだが、これだけ実力のあるキャストが集まれば、もちろん素晴らしくないはずがない。
 だが、何よりも特筆すべきは、一人一人は名だたる歌手でありながら、音楽に徹し、アンサンブルに徹し、バレンボイムの統率下でベートーヴェンの忠実な下僕になっていたことだ。
 逆に言えば、だからこそ世界一流の歌手として認められ、称賛されている証かもしれない。
 
 それでもやっぱり個々の出来具合について気になる人もいらっしゃろう。
 ならば寸評ではなく、スカラ座の聴衆が下したカーテンコールでの拍手喝采ブラヴォーの大きさによって、順位をつけてみようと思う。
 
第1位・・・指揮者バレンボイム。上に書いたとおり。圧倒的。文句なし。
第2位・・・A・カンペ。まあねえ。主役中の主役ですから。
第3位・・・K・ユン。結構意外!!彼みたいな歌手が讃えられるあたりが、さすがスカラ座
第4位・・・M・エルトマン。大健闘!そしてかわいい(笑)。殿方から特に大きなブラヴォー。
第5位・・・F・シュトルックマン。うーん、もうちょっと伸びるかと思ったが・・。
第6位・・・これまた意外!! ここでようやくK・F・フォークト!
 
 フォークトは決して出来が悪かったわけではない。いつもの彼だった。個性は十分に発揮していた。ただ、出番が後半からで、見せ場がそれほど多くないというのがネックになったか。
 
 にしても、フォークトファンの皆さん、以って如何とす。
 まさか二日目の公演でJ・カウフマンがサプライズ出演し、また元のオリジナルに戻ってしまったことが裏目に出たなんてことは・・・まさかねえ・・。
 
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