旅行二日目。曇りのち雨。
当初の予定通りだったのか、それともこんな天気のために町歩きの予定を変更したのかは忘れてしまったが、午前はバルベリーニ宮(国立絵画館)で名画鑑賞。
ラファエロの名画‘フォルリーナ’(ラファエロの愛人の肖像画)など、優れた作品がずらりと並んでおり、数々の名作をじっくりと鑑賞した。
美術鑑賞を終えて館外に出ると、そこはローマの中でも高級通りとして有名なヴェネト通りだった。
私は知らなかったのだが、通りに面して有名な高級ホテルがあり、Kくんがそのホテルを知っていたことから、「一回くらいは奮発してうまい物食うか」ということで、そこのテラスレストランで昼食をとった。
何を食べたのか、それがおいしかったのかはすっかり忘れた。
忘れたということは特別なほどではなかったのだろう。ただし、お会計の段階でウェイターに正々堂々とチップを要求されたことだけははっきり憶えている。
チップっつうのは要求するもんじゃないだろよ。チップをやるかどうかは満足度によってこっちが決めるんだろうがよ・・・ なんて心の中では思っても、「う~ん・・」とか言いながら結局は15%くらいを上乗せして払ってしまった。高級ホテルだからしようがないか。
外はすっかり雨が本降り。
晴れていれば散策もさぞや気持ちいいだろうボルゲーゼ公園内をとぼとぼ歩きながらポポロ広場を目指し、そこからトラムに乗ってオリンピックスタジアム(スタジオ・オリンピコ)に向かう。本日のアフタヌーンはサッカー・セリエA、ラツィオ対サンプドリアの試合だ。
いやあ、あたしゃこの試合を本当に本当に楽しみにしていたんだ。
この時点で海外サッカー観戦は3回目。ミュンヘンで1試合、ロンドンで1試合。セリエAはこれが初めてであった。
今でこそ欧州サッカーリーグの覇権はプレミアリーグとリーガ・エスパニョーラで争っているが、当時、セリエAは誰もが認める世界最高リーグだった。(この年の前年、前々年(93、94)と二年連続で欧州チャンピオンの座を射止めたのはイタリアのACミランだった。)
そしてラツィオも、当時はミランやインテル、ユベントスに引けを取らない強豪だったのだ。(過去形なのが哀しい)
私は今でも当時のラツィオの選手の名をすらすらと挙げることが出来る。
イタリア代表のシニョーリとカシラギ、クロアチア代表ボクシッチ、やがてイタリア代表に登り詰めることとなる若きネスタとネグロ、イングランドの問題児ガスコイン・・。
対するサンプドリアにはミスターサンプことマンチーニ、それからミランから移籍していたルート・グーリットなどが。いやあすごかったなあ。
クラシックオタクであると同時に欧州サッカーの熱にもうなされていた私は、決して単なるおのぼりさんではなかった。フィールド内のスーパースターが繰り出す華麗な技に酔いしれつつも、「ほれ、シニョーリ、勝負せい!」「カシラギ、逆サイド狙え!」などと日本語で声を出して応援していた。
そのたびに、私の前列でお父さんと観戦していた小学生くらいのぼっちゃんが後ろを振り向き、我々をじろじろながめた。
そりゃそうだろう。後ろで見慣れない東洋人がわけの分からない言語で大声でしゃべっているのだから。
ごめんな坊や。ちょっとばかしおじゃまします。私にカルチョとやらを教えてちょうだいね。
私は今でも、フットボールのことをサッカーと呼ぶ国に生まれてしまったことを恨めしく思う。
ゲームはオランダ代表アーロン・ヴィンテルのフリーキックが決まってホームのラツィオが1対0で勝った。饗宴はあっという間に終わってしまった。
名残惜しみながらスタジアムを出ると、いつしか雨は上がっていた。市内のあちこちにある噴水のしぶきに太陽の光が差し込んで、本当に美しかった。私の頭の中はレスピーギの「ローマの噴水」の旋律で満ち溢れた。
夜。メシ食いに出掛ける。
Kくんが‘ローマの下町’トラステヴェレ地区に連れて行ってくれた。ここら辺は安くておいしいピッツェリアがたくさんあるんだって。
Kくんは、前回訪れておいしかったというレストランを探すべく頑張って歩いたが、なんせ夜だったのと、日曜で休業している店が多かったのとで、結局見つからず、しようがないのでテキトーな店に入った。
ところが!!
この適当に入ったピッツェリアで食べたピザが、めっっっっちゃくちゃ旨かった!! あれから15年経ち、その後も何度もイタリアに行き、いろんなところでいろんなピザを食べたが、この時のトラステヴェレのピザがいまだに最高である。ああ、あの時の店で同じピザを食べたいよう。もっとも店の名前も、ピザの種類も忘れてしまったが・・・。