2024年7月26日 バイロイト音楽祭
ワーグナー タンホイザー
指揮 ナタリー・シュトゥッツマン
演出 トビアス・クラッツァー
ギュンター・グロイスベック(ヘルマン)、クラウス・フロリアン・フォークト(タンホイザー)、マルクス・アイヒェ(ヴォルフラム)、シヤボンガ・マクンゴ(ヴァルター)、オラフール・シグルダルソン(ビテロルフ)、エリザベス・タイゲ(エリーザベト)、アイリーン・ロバーツ(ヴェーヌス) 他
2019年のプレミエ以来、好評を博しながら再演が続いているクラッツァー版タンホイザー。バイロイトでは、一つの演目につき通常5年のサイクルとするのがパターンだが、不評だと短く切り上げられることもある。
その意味で、しっかりと5年を全うしたのは立派。(※2020年はコロナにより、音楽祭そのものが中止)興行面を支える看板演目の一つになっていると言えるだろう。シュヴァルツ版リングの人気がさっぱりなだけに、なおさらだ。
プレミエの上演は収録され、NHKがBSで放映した。メディアソフトでも販売されている。
私も視聴したが、実に鮮やかな演出だった。まさに目から鱗だった。バイロイトのすべてのプロダクションを観ているわけではないが、近年に制作された中でも出色の出来ではないかと思った。
そのクラッツァー版タンホイザーを、5月にウィーンとパリでご一緒したMさんご夫妻が昨年に現地で鑑賞したという話を伺った時、率直に「羨ましい」と思った。本プロダクションは今シーズンで最後だろう。ならば、今年何としても観に行きたい。
今回の旅行の企画は、このようにして始まったと言える。
かつて、バイロイト音楽祭のチケットはプラチナチケットで、正攻法で取るのは至難中の至難。「今年行きたい、来年行きたい」といって取れるものではなかった。
(べらぼうに高いお金を出してツアーに参加するという手はあった。)
今は、違う。
もちろん今でも、ぼやぼやしているとあっという間にソールドアウトしてしまう公演はある。
だが、早めに行く決断をし、日程を定め、発売開始日などを入念にチェックしていれば、取れる可能性は格段に高まる。バイロイトは、高嶺の花ではなく、我々の手の届く音楽祭になったのだ。
クラッツァーの演出については、私も初演の収録映像を観た際に、その感想をブログ記事にアップしている。
簡単に言うと、元宮廷歌手だったタンホイザーは、境遇に嫌気が差してドロップ・アウト。大道芸人となって、ヴェーヌスを始めとする旅芸人一座と一緒にドサ回りしていたが、本格的な歌手に復帰したいと願い、殿堂(バイロイト祝祭劇場)を目指す。そこにヴェーヌスが追っかけてきて大騒動になる、みたいな筋立て。大胆ぶっ飛びの読替え。
ただし、単なる突拍子もない思い付きではなく、芸術や信仰の本質、更にはワーグナー自身の言葉「意思の自由、行為の自由、享楽の自由」をベースに据えて、若き頃のワーグナーの思想、革命への情熱と挫折に重ね合わせるという試みを丹念に行っているのが、この演出の奥深いところである。
ヴェーヌスら旅芸人連中がバイロイト祝祭劇場内に不法侵入する際に使った梯子と、興行の宣伝に使っているキャッチフレーズを印した横断幕(これがまさに上記の『意思の自由、行為の自由、享楽の自由』。
第二幕を終えて休憩になり、外に出てみると、物語の寸劇どおり、劇場の正面にこれらが飾られていて、我々聴衆がそれを目の当たりにする、というのがミソ。実に手が込んでいて、上手く出来ている。
指揮は、メゾ・アルト歌手でもあるシュトゥッツマン。
このタンホイザーは、プレミエの指揮がゲルギエフだった。その後A・コーバーが引き継いだ。つまり、同一プロダクションで3人目の指揮者となり、これはちょっと異例かもしれない。
シュトゥッツマンも、昨年抜擢起用が発表された時は、「大丈夫?」みたいな不安の声も聞こえたみたいだが、いざ上演が始まると、称賛の声が相次いだ。好評に応え、昨年に引き続いてバイロイトのピットに入ったが、この人はもう歌手というより、十分立派に指揮者になっていると思う。音楽の作り方、音の導き出し方や鳴らせ方が、結構本格的なのだ。
この日も、終演後のカーテンコールで、彼女に対し大絶賛のブラヴォーが鳴り響いていた。
歌手だと、やっぱりというか、クラウス・フロリアン・フォークトが圧巻。一人別次元、出色の出来であった。
フォークトにとってタンホイザーは、ローエングリンと並び、完全に手玉にとっている役だろう。
朝、彼を叩き起こし、寝起きのぼーっとしているタイミングで「さあ、今からタンホイザーを歌え」と命令しても、「ホイホイ」と歌えてしまう、きっとそんな役である。(あ、冗談ですから、はい。)
びっくりなのは、同じ役を2日連続で歌っていたことだ。
前日、彼はミュンヘン(バイエルン州立歌劇場)の公演で、これを歌った。
マジか!? ワーグナーの長大で負担のかかる役を2日連続で歌えるのか・・。
ていうか、そもそもどうやって当日移動したの? 電車か、それとも車でぶっ飛ばして来たのか?
さては、自ら操縦する飛行機で飛んできたか?(彼は小型飛行機のライセンスを持っている)
もう一人、同じく前日ミュンヘンで歌った人がいる。
エリーザベトのタイゲさん。「あたしも一緒に飛行機に乗せて!!」とお願いしたか??(笑)
歌手について、もう一人、ヴァルター役のシヤボンガ・マクンゴについても、ぜひ触れたい。
ノーマークだったが、溌剌とした美声に魅せられた。南アフリカ出身の有色系で、体型もぽっちゃりなのだが、歌はキラリと光っていた。
最後に。
冒頭の序曲演奏中、演出において旅芸人一座が巡業のため車で移動している様子が映像で流される。この中で、小人症の芸人仲間が亡くなった人を偲び、遺影写真を見つめながら酒を飲む、というシーンが新たに挿入されていた。
この「亡くなった人の写真」が、本プロダクションの初演のタンホイザー役を務め、バイロイト音楽祭に多大な貢献をし、昨年惜しくも他界した、ステファン・グールドだった。
ワグネリアンの聴衆は、みんな即座にこのことに気付いた。そして、演奏中だったにもかかわらず、場内に自然と拍手が沸き起こった。これには私も思わず泣きそうになった。