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2024/5/27 全仏オープン(パリ4)

テニスの世界4大タイトル、グランドスラムの一つ、全仏オープン。通称ローラン・ギャロス。赤土のクレーコートで名高く、テニスファンなら誰でも知っている憧れの大会だ。
毎年5月下旬から6月初旬にかけて開催され、今年は前日の26日(日)からトーナメントがスタート。今回パリに行くことが決まった時、「よし、全仏にも行こう!」と計画に組み込んだ。

観戦は、これで2度目。
前回はもう随分と昔(20年くらい前)で、その時は大会をやっていることすら知らずにパリ入り。市内で見つけた案内ポスターでたまたま知り、「じゃ、ちょっくら覗いてみるか」みたいな軽いノリで会場へ。当日券を買って観戦した。チケットは余裕の楽勝だった。

この時の楽勝イメージが残っていたので、今回のチケットも「ま、全然大丈夫やろ。1回戦だし。」くらいに呑気に考えていたら、これがとんでもなかった。ぼやぼやしていたら、チケットはあっという間に全日売り切れてしまったのだ。

嘘だろ!? 決勝とか準決勝とかならともかく、たかが1回戦だぜ!?
どうなってるんだよ、おい。

幸い、大会公式HPの「ラストミニッツ・セール」なる最終一般販売(Web)に全力で挑み、なんとかチケットをゲット。ふーっ、危ねえ・・。


私が買ったチケットは、「スザンヌ・ランラン」という、センターコートに次ぐ2番目のコートの1日券。収容およそ1万人。
コート名のスザンヌ・ランランというのは、1920年代に活躍した往年のフランスの女性プレーヤーの名前だそうで、テニスの女神と呼ばれているとのこと。

大会二日目、購入した1日券で、このコートで行われる男女シングルス1回戦4試合が観戦可能だが、夜のコンサートも控えており、さすがに全部は観られない。最初から2試合のみにしようと考えていた。
観戦する対戦カードは購入時点で未定だったが、組み合わせ抽選を経て、次のとおりになった。(順位はその試合時点における世界ランキング)

男子シングルス
C・ユーバンクス(アメリカ)43位 vs J・シナー(イタリア)2位
M・フチョビッチ(ハンガリー)54位 vs S・チチパス(ギリシャ)9位

グランドスラム大会を見ることが目的で、対戦カードやプレーヤーにまったく期待はしていなかったのだが・・・

わーーお!! 世界2位のヤニック・シナーの試合が組まれたではないか!?
今年の全豪の覇者。トップランカーの中では好きな選手だ。
チチパスだって、熱心なテニスファンではない私でも知っているビッグネームじゃんか!
これは嬉しい。


試合の結果は、2試合ともランキングどおりシナーとチチパスが順当に2回戦に勝ち上がった。
数字だけで見れば、二人とも3-0(3セット連取)の圧勝だが、ゲームの局面では激しい攻防があり、見応えがあって本当に面白かった。


この日の天気は変わりやすくて、途中でにわか雨がザッと降った。
こうした時、屋根のないオープンコートだと、すぐに試合が中断してしまう。
ローラン・ギャロスにはコートが幾つもあるが、センターコート「フィリップ・シャトリエ」と、サブの「スザンヌ・ランラン」だけが屋根付き(開閉タイプ)。このため、中断無く観戦出来たのは幸いだった。


スザンヌ・ランランは、昨年までは屋根が無かったらしいのだが、今年から設置されたとのことで、これもラッキーだった。


第2試合のチチパス戦を観終え、会場の外に出ると、その会場の壁に設置された大型スクリーンで、隣のセンターコートで行われている試合のライブビューイングを行っていた。
たくさんの人が群がり、スクリーンを見つめている。私も立ち止まって見上げると、その試合で戦っていたのは、あのラファエル・ナダルだった。

ラファエル・ナダル
言わずと知れた、テニス界のレジェンド。グランドスラムは歴代2位の22回。特にクレーコートが抜群に強く、全仏は5連覇を含む優勝14回。ローラン・ギャロスでは神様のような存在だ。
しかし、そんな彼も寄る年波には勝てず、近年は怪我がち。欠場が増え、必然的にランキングが下降。このため、本大会では、なんと1回戦から優勝候補の一人、世界ランク4位のA・ズベレフ(独)と戦うはめに。なんという過酷な運命。

スクリーンでの試合経過を確認すると、もう既に2セットを奪われているではないか。ああ、これは苦しい。


自分とわずか数十メートルしか離れていない場所に世界的な名プレーヤーがいて、同じ空気を吸い、繋がっているという密かな興奮・・。
と同時に、その英雄は苦戦していて、もしかしたらこれが最後のローラン・ギャロスかもしれないという一抹の不安・・。

複雑でエモーショナルな感情が沸き起こった。

試合は案の定、ナダルが3-0のストレート負けを喫した。試合後のインタビューでは、「もしかしたら最後かもしれないが、まだ分からない。オリンピックでは是非戻って来たい。」と話したという。