クラシック、オペラの粋を極める!

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2024/2/4 F・D・フローレス P・イェンデ デュオ・リサイタル

2024年2月4日   J・D・フローレス P・イェンデ デュオ・リサイタル   東京文化会館
指揮  ミケーレ・スポッティ
管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団
ファン・ディエゴ・フローレステノール)、プリティ・イェンデ(ソプラノ)
ロッシーニ  「チェネレントラ」より、「セヴィリアの理髪師」より、「オリー伯爵」より
ドニゼッティ  「ランメルモールのルチア」より
グノー  「ロメオとジュリエット」より
ドニゼッティ  「連隊の娘」より、「愛の妙薬」より

 

一発目、4年ぶりのフローレスの「チェネレントラ」ドン・ラミロのアリアを聴いて、私は瞬時に気が付いてしまった。

「あーー、フローレス、劣化してる・・・」

声に張りが無く、かつて、まるで曲芸師のように軽々と飛ばしていた最高音は、いかにも「よっこらしょ」という感じで、輝かしく伸ばすことなく、直ぐにポジションを下げた。

「もう以前のフローレスではない・・・」
加齢による衰えは誰もが直面すること。仕方がないとはいえ、少々愕然とした気持ちになった、すぐその後のことだった。

次の曲に入れ替わるため、フローレスが一旦ステージ袖に引っ込むと、館内にアナウンス放送が流れた。
「J・D・フローレス氏は、本日体調不良で、喉をやられ咳も出ているが、最後まで務めるので、どうぞご理解ください。」

不調・・・なのか・・・ふぅーーん・・。

先日の藤原歌劇団の「ファウスト」で、絶不調に見舞われた村上敏明さんも、このようにアナウンスでエクスキューズすればよかったのに・・・などということは、とりあえず置いておき・・。

へぇー、そうなんだ、体調不良が原因なんだ・・。衰えではなく。

今回そういうわけで、当初プログラムのクライマックス、ハイC連発の「連隊の娘」トニオの超絶アリア「ああ!友よ!なんと楽しい日!」が回避され、「愛の妙薬」の「人知れぬ涙」に変更になったわけだが・・・じゃあなにかい? もし体調不良じゃなかったら、トニオのアリア、やったんかい??
かつて・・・2006年ボローニャ歌劇場来日公演の「連隊の娘」で、圧巻のアリアを披露し、人々を唖然呆然とさせ、熱狂の渦を起こしたあの時のように・・。


この日、フローレスは、そつなくプログラムのアリアとデュオをこなした。最後まで、破綻はしなかった。
それどころか、むしろプログラムが進行するにつれて調子は徐々に上がっていき、アンコールでは、お得意のギター弾き歌いを楽しそうに披露。3曲も。ラスト・アンコールの「ボエーム」の愛の二重唱では、しっかりとハイCを出した。


ここからは、私の推論だ。あくまでも勝手な想像だ。違うかもしれないし、本人、関係者、ファンは否定するかもしれないが、どうか勘弁してくれ。

調子の良し悪しというのは、間違いなくあったのだと思う。
ただし、いずれにしても、以前とは違う。もうかつてのフローレスではない。
かつてなら、多少の調子の悪さがあっても、天性の才能と若さの勢いで、「パコーン!」とかっ飛ばすことが出来た。
今だって、調子さえ良ければ、絶好調なら、かっ飛ばすことが出来る。
だが、それはあくまでも調子が良ければ、の話。

この日、当日リハもしくは発声準備段階で、「調子はイマイチだな、降板するほどではないし、無難にこなすことは出来ると思うが、リスクは回避すべきだな」と慎重判断した。
こういう事態は最初から想定されていたので、予め主催者や指揮者にそのことを伝え、ちゃんと代替の曲も抜かりなく用意しておいた。結果、変更になったが、事前に周知されていたとおりなので、指揮者もオーケストラも混乱なく対処した・・・。


えーー・・・ということで、もしかしたら本公演の立役者は、もう一人のソリスト、イェンデだったかもしれない。

初来日(たぶん)。
はたして日本で、これまで彼女にどれくらいの知名度があったことだろう。
決して国際的に無名ではないし、それどころか十分なキャリアを積んでおり、フローレスの相方として申し分はない。
だが、来場者の大半はフローレス目当てであり、相方のことはよく知らず、初めて聴いて、「いやいや、十分素晴らしいじゃん!」と気が付き、喜んだ、という流れだろう。
(私自身は、2018年10月、バルセロナ・リセウ劇場のベッリーニ清教徒」公演で彼女の歌に接し、その豊かな才能を知っていた。)

今回、たった1公演だけのための来日だったのだろうか。
次回は是非オペラで来て欲しい。外来でもいいし、新国立でもいい。タイトルロールだって十分に果たせることは、今回の歌唱で証明したわけだから。