指揮 ミケーレ・マリオッティ
演出 ジョヴァンナ・マレスタ(原演出ピエラッリ)
オペラの魔力に引きつけられておよそ20年、これまで国内外でかなりのオペラ上演を観てきたが、清教徒の体験はわずかに1回のみ。今回でようやく2回目である。
その一回目もやはりボローニャ歌劇場の来日公演(2002年)だった。つまりボローニャは、なかなか上演されない演目を私に2回もプレゼントしてくれた、ありがたき歌劇場。この貴重な公演、たかがフローレスが来ないからといって、どうして「払い戻しして欲しい」「公演中止にして欲しい」などと言えようか。
(ちなみに9年前の公演、行った人もいると思うが、エルヴィーラがグルベローヴァ、アルトゥーロがサッバティーニ、リッカルドがカルロス・アルヴァレスとヌッチのダブルキャストという、オペラファンが泣いて喜ぶ夢の共演だった。)
今回も含めてわずかに2回しか体験したことがないのは、別にこの曲が嫌いで避けているわけでもなんでもなく、単に上演の機会に乏しいのが原因だが、上演を困難にしているのはひとえに主役のソプラノとテノールの役の技術的な難しさにある。エルヴィーラの狂乱の場における超絶アリアはともかくとして、最大の問題はテノールのアルトゥーロ。目眩がするようなアクロバット的高音が要求される。これがないだけで、もっと上演の機会が増えそうな気がするのだが・・・。
この難題をクリアすることが出来る世界でも数少ないスーパーテノール、ファン・ディエゴ・フローレスが来なかったのは残念だったが、スペインのホープ、セルソ・アルベロと、定評のあるアントニーノ・シラグーサをすかさず代役に立てることが出来たのは、ボローニャ歌劇場の実力の賜物。私も代役シラグーサと知って大いに安堵したところだった。(シラグーサになったのはたまたまその日のチケットを持っていたからであって、別にアルベロでも良かった。まだ聴いたことがなかったので、聴きたかった。)
ところが・・・。
安心して任せられるはずのシラグーサだったが、決して調子がいいとは言えず、高音がかなり苦しそうだった。うまくごまかし、高音以外の甘美なアリアをそつなくこなして会場からは大きな拍手とブラヴォーをもらっていたが、分かる人には分かったぞ。
もう一人の主役、ランカトーレちゃんは一生懸命さがひしひしと伝わって、けなげでかわいくて、歌的には大満足ではなかったけど、いいよいいよ、許したげる(笑)。日本に来てくれてありがとね!
指揮のマリオッティも、カルメンに比べて見違えるくらい音楽全体を俯瞰し、リードしていた。さすが現地公演を映像収録しただけのことはあった。
この曲のハイライトは、一般的にはエルヴィーラの狂乱の場とテノールのハイトーンなのかもしれないが、見どころ・聴きどころは他にもあって、私なんかは第2幕の後半(狂乱の場の次)、リッカルドとジョルジョのバリトン・バスによる掛け合い二重唱が音楽的にとても好き。それ以外にもベッリーニらしい甘美な旋律が随所に散りばめられていて、実に美しい。全曲を聴いて、あらためて珠玉の作品だと認識した。もっともっと人気が出てもいいと思う。そして、もっともっと上演されることを願う。テノールの人材不足という問題があることは重々承知しつつ。
それにしても、この作品、せっかくタイトルが「清教徒」なのに、フタを開ければいかにもオペラにありがちな騎士とお姫様のくだらぬ恋愛物語。別に清教徒でなくても何でもいいわけ。もっと宗教会派の対立、それぞれの立場と主張、王党派との政治的混乱などに焦点が当たれば、より物語が重層的になって面白くなると思うのだが。ドイツの急先鋒演出家だったら、きっとそこらへんを鋭くえぐるに違いない・・・・おっとしまった、そういうことは言ってはいけないのであった。これはイタリアオペラ。難しいことは不要。ベルカントにひたすら酔う。それで良し。(と、自分に言い聞かせる)