クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2012/5/1 リゴレット

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2012年5月1日  チューリッヒ歌劇場
演出  ジルベール・デフロ
レオ・ヌッチ(リゴレット)、セン・クオ(ジルダ)、ファン・ディエゴ・フローレスマントヴァ公爵)、リリアーナ・ニキテアヌ(マッダレーナ)、パヴェル・ダニルク(スパラフチーレ)   他
 
 
 ここまでのオペラ鑑賞記では、最初にどういう演出だったかについて記事を書いてきた。海外の場合、記事をお読みいただいているほとんどの皆様は当該公演を観ていないので、私としてはなるべく「こういう舞台だったんですよ」とイメージで紹介できるように、まずは‘見た目’から書くことが多い。
 
 しかし、申し訳ないが、この公演に関してはそのように書くことができない。
 なぜなら、「オペラとは歌の芸術である。歌手の声と技術を心ゆくまで堪能することがオペラ鑑賞の醍醐味である」ということを、いやでも認識せざるを得なかった衝撃的な上演だったからである。
 もはや超一流歌手による超一流の歌声の前では、すべてが霞む。演出なんぞは完全に片隅に追いやられる。どうでもよくなる。いや、演出だけではない。ヘタをすると、作品そのものさえも超越しかねない。人間の声は、それほどまでにすべてを凌駕する力を持つ。私は改めて思い知った。
 
 ファン・ディエゴ・フローレス、そしてレオ・ヌッチ。なんという偉大な芸術家たち!
 
 彼らの歌唱芸術の神髄に触れ、私は完全に打ちのめされた。
 私だけではない。この会場に集まった全ての聴衆がノックダウンを食らったに違いない。ある者は熱狂してブラヴォーを叫び、ある者は拍手することさえも忘れて呆然とし、「信じられない」と首を横に振る・・・。
 
 歌手が素晴らしいアリアを披露した後、ブラヴォーの喝采が続いてなかなか鳴り止まないということは、しばしば起こり得る。
 だが、諸兄、アリアが終わった瞬間(カーテンコールじゃないよ)、ほとんどすべての観客が一斉に立ち上がるという光景を見たことはおありか?
 「ブラヴォー!」という甲高い掛け声よりも前に、まず地鳴りのようなどよめきが起こったという体験をお持ちか?
 フローレス、そしてヌッチがアリアを歌った後、この現象が起こったのである。拍手は永遠に鳴り止まない。そして、アリアのアンコールが始まる・・・。
 
 ファン・ディエゴ・フローレス
 人は彼のことを「世紀のスーパー・テノール」と呼ぶ。100年に一人・・・その看板に偽りなしである。
 昨年のボローニャ歌劇場日本公演で彼の来日キャンセルが発表されると、多くのオペラファンが落胆した。怒りのあまり主催者に抗議の電話をかけた人もいるし、あっさりと公演に出掛けることをやめてチケットを投げ売った人もいる。
 その時私は当ブログに「歌手よりも演目が優先。鑑賞をやめちゃうなんてもってのほか」と書いた。
 だが、今回フローレスの底知れぬ実力をまざまざと見せつけられ、今更ながら来日キャンセルを激しく残念がる。「フローレスが出演しないのなら、行ってもしょうがない」と考える人が続出してしまうのも十分に理解できる。それくらい、彼の歌は人間業を超えているのである。
 
 以前、私は何かの音楽評論記事で、彼のマントヴァ公について「フローレスのレパートリーの中では、『失敗』『不出来』の部類に属する」と書かれていたのを見たことがある。
 私は言いたい。「どこのどいつだ、そんなこと言っているのは。オマエの耳は節穴か??」
 
 
 レオ・ヌッチ。
 いやはや・・・。70歳だそうだ。円熟の境地、ここに極めり。衰えは・・・ないっ(きっぱり)。
 
 ヌッチの歌が聴いている人の心を打つのは、ちょっとありきたりの表現だが、情感がこもっているから。役柄に100%没入し、その人物の心情を切々と訴えることができるから。リゴレットが宮中で「お慈悲だ。皆さん。どうか娘を返してください。」と歌った時、私は心から憐れみを感じ、リゴレットの心の叫びにビビっときて、本当に泣きそうになった。これまで何度もこの演目を鑑賞しているが、これほどまでにこのアリアに感動したのは今回が初めてである。
 
 来年9月のミラノ・スカラ座来日公演、果たしてヌッチはリゴレットを歌うために来日してくれるのだろうか??もしそうなってくれたら、これは絶対絶対絶対行くべきである。
 それよりもまず、今年11月、デビュー45周年記念と銘打たれた来日リサイタルに行かなくては。
 
 
 どうしてもこの二人に隠れてしまうが、実はもう一人、聴衆を釘付けにした歌手がいた。
 ジルダを歌ったセン・クオ。名前のとおり中国系で、同劇場の専属歌手だと思うが、チューリッヒを羽ばたいて国際舞台で活躍できる資質を十分に備えている。間違いない。
 
 最後になってしまったが、今やイタリア・オペラの重鎮となったサンティが、がっちりと歌の饗宴を下支えしていたことを付け加えておく。付け加えの扱いだなんて申し訳ないくらいサンティが紡ぎだしたオーケストラの音色も光っていたのだが、とにかく偉大な歌手の歌が他のすべてを霞ませてしまったのだ。仕方があるまい。