クラシック、オペラの粋を極める!

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2023/1/7 読響

2023年1月7日   読売日本交響楽団   東京芸術劇場
指揮  山田和樹
イーヴォ・ポゴレリチ(ピアノ)
チャイコフスキー  組曲「眠りの森の美女」よりワルツ
ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第2番
チャイコフスキー  マンフレッド交響曲


2023年最初のコンサート。ポゴレリッチのコンチェルトに期待をしてチケットを買った公演だ。

当初に発表された予定演目は、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番だった。それがラフマニノフに変わってしまった。
プロコの3番は、1983年、世界に衝撃を与えたショパンコンクールの「ポゴレリッチ事件」から3年後、初めて日本にやってきて、その時に演奏した作品である。40年ぶりにまたプロコを聴きたかったが変更となり、代わりとなった作品が2016年にも演奏されたラフマニノフの2番(その時も同じく読響)になってしまったのだから、個人的には残念、がっかりとしか言いようがない。


こういう時、本人にしても、読響にしても、「そういや前回もラフマニノフだったよな・・」と気が付いたり、あるいは指摘したりしないのだろうか。
それとも、言われるまでもなく指摘したが、ポゴレリッチの強い要望によって従わざるを得ず、結局これになってしまった、ということだろうか。

ポゴレリッチの場合、レパートリーがかなり限定されているため、その可能性は大いにある。そうであれば仕方がない。来日回数はそれなりに多いが、演奏作品はパターン化され、何度も繰り返されている。演奏は強烈だが、プログラムに関しては、はっきり言って新鮮味に欠ける。

そうしたプログラミングにおける演奏者の考え、ポリシーというのは、我々聴き手側にはどうしようもなく、まったく分からん範疇だ。「飽きないの?」「新たな境地に向かわないの?」などと言いたくなるが、真意は演奏者しか持ち合わせないわけである。


それでも「まあ、いいか・・・」と矛を収め、納得出来てしまうのは、唯一無二、ポゴレリッチしかなし得ない孤高のラフマニノフ、唖然とするような演奏が聴けるからだ。
前回の2016年の演奏も、そうだった。こんなラフマニノフ、聴いたことない。
それは、あたかもポゴレリッチから「あなたが耳に馴染んでいる既存のラフマニノフは、本当にそうなのですか?」と突き付けられる、不意をついた疑問符のようなもの。表だけを見ている我々に、堂々と裏を見せつける尊大さ、ふてぶてしさ。

こうした時、難しい舵取りを強いられるのが指揮者なわけだが、山田和樹は抜群の捌きだった。ピアノソロが突き抜けているのに、全体としてまとまっている。何度も上下に揺れ動きがあるが、目線は一定している。

私は、そこに山田和樹氏の指揮者としての余裕と貫禄を見つけた。てっきりまだまだ若手の俊英だと思っていたが、もう既に堅実なマエストロに差し掛かっているではないか。

そして、その発見は、メインのマンフレッドを聴いてますます確信を抱くようになる。
音楽を流麗にリードしながら、タクトで指揮者自身が引っ張るところ、作品に語らせるところ、オーケストラの演奏に語らせるところを、絶妙に配置している。完成度は高く、総じて安定していた。

これから先も、経験を積んでいきながら、ますます本格化の道を進んでいくことだろう。
願わくば、無難、器用、堅実に収まらず、時に既成概念を突き抜くような異次元の境地にまで達してほしい。
例えば、そう、この日のソリストのように・・。