クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2016/12/13 読響

2016年12月13日   読売日本交響楽団   サントリーホール
指揮  オレグ・カエターニ
イーヴォ・ポゴレリチ(ピアノ)
ムソルグスキー  ホヴァンシチナよりペルシャの女奴隷たちの踊り
ボロディン  交響曲第2番
ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第2番


夢見るかのように甘美でロマンチックな名曲も、ひとたびポゴの手にかかれば、陰鬱で、憂虞に満ちた、何とも不安げな音楽に様変わりする。まるで人間の残酷な本性が剥き出しになって現れたかのよう。
できれば見たくない、綺麗な上辺だけを見ていたい、心地よさに浸りたい。なのに、ポゴレリッチはこれでもかとばかりに「直視せよ」と迫ってくる。その怖さと言ったら・・・。

だが、ポゴレリッチのピアノを聴くということは、そういうことなのだ。
私もその怖さを体験するためにチケットを買い、会場に足を運ぶ。彼のやり方は百も承知だ。
物事には表裏がある。あえて裏側にある漆黒の世界を覗くため、勇気を出して一歩踏み込んでいく。なぜなら、もしかすると真実はそっちの方にあるのかもしれないのだから。

私の気構えは以上のとおりだが、全席完売となったこの日、大勢のお客さんはいったい何を期待して会場入りしたのだろう。
(カエターニ指揮のボロディンを聴きに来たなんていう物好きは、ほんの一握りしかいないはず。)

名声だけは知っているが実際にはその音を聴いたことがない人。その人達は驚き、ためらっていい。受入れを拒否する権利もある。

だが、ポゴレリッチのピアニズムを知っている人なら、クラシックファンを自称するのなら、表面的に聞こえてくるテンポの遅さや音色のドス黒さを否定したり、あれこれ言ったりするのは、通じゃない。ポゴレリッチはあえてそうやっているわけで、そこから何が見えるのかを語らなければだめだ。
そうした探索の作業は決して難しくない。ピアニストはものすごく真剣だし、真面目だ。必ず回答が見つかるだろう。

とはいえ、この日、ピアノのソロ部分でポゴレリッチの孤高の世界が展開された後、オーケストラが入った途端に指揮者が俗世に引き戻すというやり取りの繰り返しは、なんだかとっても愉快だった。

どうしても、メインのコンチェルトが話題になってしまうが、ボロディン交響曲、こちらも作品の魅力が最大限に引き出された名演だった。とてもいい曲。つい歌劇「イーゴリ公」の旋律を思い浮かべてしまう。