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2022/5/28 別府アルゲリッチ音楽祭

2022年5月28日   別府アルゲリッチ音楽祭  iichiko総合文化センター
室内楽コンサート
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)、大宮臨太郎(ヴァイオリン)、坂口弦太郎(ヴィオラ)、市寛也(チェロ)
シューマン  子供の情景より 第1曲見知らぬ国と人々について
バッハ  パルティータ第2番
バッハ  ゴルトベルク変奏曲(シトコヴィツキによる弦楽三重奏版)
ベートーヴェン  ピアノ四重奏曲第3番


ちょっとしたトラブルもあって、会場入りが結構ギリになってしまい、公演当日の主催者発表もろくに確認せずに着席。
すると、演奏前にまず音楽祭総合プロデューサーの伊藤京子さんが登場し、ご挨拶があって、その中に「プログラムも変更になってしまい、申し訳ございません・・・」という一言が。

ん?? プログラムの変更? なにそれ。

伊藤さんの挨拶後に登場した演奏者は、当初予定されていた弦楽三重奏の皆さんではなく、なんとアルゲリッチ・・。 ん!?
「そうか、プログラムの曲順が変更になったのね・・」

アルゲリッチはピアノに向かうと、まず「子供の情景」を弾き始めた。
「あら? アルゲリッチのソロ演奏曲は、バッハじゃなくてシューマンだったんだ・・・」

そうかぁー・・・と思いながら聴いていたら、第1曲だけ弾いた後、今度はすぐにパルティータ第2番を弾き始めた。

「?????」
いったいステージ上で何が起こっているのか、まったくわからず、混乱。
何だか分からないが、とにかくアルゲリッチ姐さんは、シューマンの1曲とパルティータを弾いた。
何だか分からないが、当初予定「子供の情景‘または’パルティータ第2番」だったのが、「子供の情景の1曲‘と’パルティータ第2番」に変更になった。

これは、アルゲリッチ姐さんのソロを聴く機会が稀で貴重な機会という中、「さらに1曲追加になってラッキー」ということなのだろうか。ま、そういうことで、良かったということにしよう。


3年ぶりのアルゲリッチ
ステージに現れた足取りは、やっぱりちょっと「年取った」感じがする。
そりゃそうだろう。80歳なのだ。6月5日には81歳になるのだ。我々は彼女のことをピアノ界の神様として奉っているが、実は人間なのだ。当たり前だが。

自分にとって33年ぶりに聴くアルゲリッチのソロ(※正規のプログラムとして)。
「これって、すごいことなんだよな」「今、すごく貴重な機会に接ししているんだよな」などと思いながら、全力で目と耳をステージに傾ける。


アルゲリッチがコンサートで弾くのは、どれも「いつも弾いている曲」ばかり。
だから、完成されている。引き出しの中からサッと取り出して披露するかのような安定感が目立つ。
逆に言えば、新鮮な感じはしない。冷蔵庫から取り出した料理の品をレンジで温め直したような既成感。
普通に捉えれば、もしかしたら若干の物足りなさを覚えるかもしれない。

だが、そうならない。決して。
理由はただ一つ。
なぜなら「アルゲリッチ」だから。
希少価値、そして唯一無二、世界でアルゲリッチだけの絶対的な孤高の領域。
こうしたものが、聴衆を惹きつけ、圧倒する。
上に「実は人間」と書いたが、アルゲリッチはやっぱり神様なのだ。


既成感ではなく鮮度で言うなら、ベートーヴェン「ピアノ四重奏曲」で、彼女の演奏は突如のごとく「水を得た魚」となる。
弦楽演奏の上に乗っかるピアノのなんと快活なこと! ステージからあたかも風が吹いてきて、皮膚に伝わってくるかのよう。

なるほど・・。そういうことなのだ。
ようやくわかった。なぜ彼女がソロを弾かず、デュオや室内楽、コンチェルトに固執するのかが。
音楽ファンは彼女のソロを何としても聴きたいと願うが、彼女自身はこうした共演の中でこそ自分のピアノが輝くことを悟っているのだ。たぶん本能的に。


一通りのプログラムが終了した後、実は第二部として大分県民栄誉賞の贈呈式が予定されていたが、私と相棒のKくんはそそくさと会場を後にした。その日宿泊する温泉旅館のチェックイン時間が迫っていたためだ。
ネットの情報によれば、彼女は栄誉賞贈呈の答礼として、追加でバッハのイギリス組曲の中から1曲をその場で演奏披露したとのこと。

本来なら、アルゲリッチの貴重なソロ演奏を一つ逃したことになる。
だが、アルゲリッチの演奏がある意味ソロよりも室内楽において輝いていた事実を目撃してしまった以上、わたし的にはもうそれで十分だった。