クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2021/9/12 藤原歌劇団 清教徒

2021年9月12日   藤原歌劇団   会場:新国立劇場
ベッリーニ  清教徒
指揮  柴田真郁
演出  松本重孝
管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団
東原貞彦(ヴァルトン)、伊藤貴之(ジョルジョ)、澤﨑一了(アルトゥーロ)、岡昭宏(リッカルド)、古澤真紀子(エンリケッタ)、佐藤美枝子(エルヴィーラ)   他


観に行っておいてなんだが、ぶっちゃけはっきり言うと、私は藤原がキライである。
「イタリア物中心」、「人気演目中心」、「保守的な演出」、「お友だち指揮者、お友だち演出家の起用」といったいかにもぬるい方針は、共感できないどころか、嫌悪感さえ覚える。これぞ藤原のポリシーであり、ある意味それを売りにしているわけで、そこにブツブツ文句を言うのはホント申し訳ないが・・・。

だいたい何でイタリア路線なんだ? イタリア人じゃあるまいし。
そのイタリアだって、普通にドイツ物もフランス物もやってるぜ。なぜなら、ドイツ物もフランス物も同じ「オペラ」だからだ。
あんたたちは「オペラ団体」じゃないのか?

今や世界のどこの国であろうと、どこのローカル中小劇場であろうと、あらゆるレパートリーを開拓し、限られた予算の中で気鋭の指揮者や演出家を登用するなど、積極果敢にチャレンジしている。既存のことをやっているだけでは生き残れない厳しい状況下で、必至に活路を模索しているのだ。
そうした観点からすれば、藤原のポリシーは気概がなく、チャレンジ精神のかけらもなく、伝統という名の現状維持に甘んじ、ぬるま湯に浸かっているとしか思えない。

一頃、ロッシーニの神様だったマエストロ・ゼッダを定期的に招聘し、「セヴィリア」や「チェネレントラ」以外の作品を採り上げていたことがあって、その時は私も全力で応援し、会場に足を運んだ。だが、ゼッダ氏が天国のロッシーニの下に旅立つと、あっという間に元の路線に引っ込んでいった。


かのごとく私にとって取るに足らない藤原歌劇団だが、「それやるか!? ならば行かねば!」と思う公演がたまーにある。滅多にないが。
今回の「清教徒」がまさにそうだ。

私の知る限り、この作品が日本で上演されたのは、これまでにたったの3回しかない。
そのうち2回が、2002年と2011年のボローニャ歌劇場来日公演。
そして、残りの1回が、1989年藤原歌劇団の主催公演だ。ただし、肝心の主要キャストは外国人に頼った。

今回はオール日本人キャストである。
おいおい、マジか。大丈夫なのか。
主役のエルヴィーラはいいとして、アルトゥーロは難役だぜ。超が付くハイトーンが求められる。日本だけでなく、世界でもなかなか上演されないのは、アルトゥーロを歌えるテノールを確保することが難しいからではないか。

まあいい・・・。
ベッリーニの珠玉の逸品をやってくれるというのなら、歌唱に多少の難があっても、許す。
どんなにコテコテの保守的演出であったとしても、許す。
なかなか上演されないこの作品を採り上げた、そのこと自体が快挙なのだ。


さて、そのアルトゥーロ役を担った日本人テノール澤﨑さんだが、驚いた。超絶ハイトーンをバッチリと決めて見せたのだ。
超絶ハイトーン・・3点Cis音、D、そしてF。人間業じゃない。かつて、あのドミンゴもC(ド)さえ出すのが難しくて「シミンゴ」なんて揶揄された。ピッチャーで言えば、160キロ超の世界。それを、澤﨑さん、あんたがまさか・・・。

そうだったのか。藤原は彼を発掘し、「行ける!」と判断し、「清教徒」上演に踏み切ったのだ。藤原に救世主が出現したってわけだ。

エルヴィーラを歌った佐藤さんは、貫禄、盤石の歌唱。本当のことを言うと、個人的には好きな歌い方ではないのだが、いいでしょう。澤﨑さんと同様に、今回の上演を成功に導いた一人であることは間違いない。


演出については、最初から1ミリの期待もしておらず、その0ミリの期待を0.1ミリも上回らなかった。
あのさー、わりぃけどあの程度でいいんだったら、オレでもできるわ。オレがやってやるよ。たったの100万でいいぜ。値下げも応相談。どうよ。あ?