2021年5月27日 東京交響楽団 ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮 ジョナサン・ノット
児玉麻里(ピアノ)、グレブ・ニキティン(ヴァイオリン)
ベルク 室内協奏曲-ピアノとヴァイオリンと13管楽器のための
マーラー 交響曲第1番
音楽監督ノットが振る東響公演を前回聴いたのは2019年11月。わずか1年半くらいしか経っていないのに、何だか久しぶりの感がした。
それはやはり、コロナのせいで来日できずに幾つかの公演が中止に追い込まれ、お預けを食らったからだろう。
それに、東響とノットは切っても切れないくらいの良好な関係を築いており、そのコンビの演奏がやむを得ない事情によって聴けないというもどかしさもあったと思う。
それにしても、ノットだけでなく、読響のヴァイグレ、都響のインバル、日本フィルのラザレフ、東京フィルのバッティストーニ・・・彼らはこのような困難な最中、更に二週間の隔離待機という辛い条件さえも受け入れて、全力で日本に来てくれようとする。
それは、単なる契約というものを越えて、待ってくれている楽団、ファン、関係者の期待に応えたいという一心であろうし、更には「何としても日本に行きたい」、ある意味「日本に戻りたい、帰りたい」という強い絆に呼び寄せられているのだと思う。これは、本当に嬉しいことだ。
この日のカーテンコール、観客総立ちの中、ソロでステージに戻ってきたノットは、手にメッセージ入りフラッグ(タオル)を持っていた。観客に向かって高々と掲げたフラッグに書かれていたのは「I’m home!」ただいまであった。
それは楽団の関係者があらかじめ準備した小道具だったのかもしれないが、まさにノットさんの気持ちを代弁していたのではあるまいか。
そして観客も、拍手する手に更に力を込めながら、心の中でこう叫ぶ。
「おかえり!」と。
演奏を聴いても、同じ感慨が沸く。
「ああ、ノットの演奏だな。そうそう、これがノットなんだよな。」
スコアの分析に余念がなく、ディティールをしっかりと詰めているが、それでいて描き方は俯瞰的。物語を紡ぐというよりは、壮大なパノラマ画を作成しているかのよう。
特にマーラーでは、作品そのものやオケの演奏に語らせるのではなく、主導権を完全に指揮者が握って、独自の世界観を構築させる。
結果として、テンポにしても、強弱、音色、どれもこれもユニークなものとなるが、ノット自身は別に奇を衒っているわけではなく、自らのスコア解釈の正当性を堂々と主張するのだ。
その心意気や良し。
正直に言ってオーケストラの技術的精度は、完璧とは言い難かった。
だが、「技術的な話なんかどうでもいい」とでも言わんばかりの指揮者の牽引力だった。