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2015/6/6 東響

2015年6月6日  東京交響楽団   サントリーホール
 
 
 今年2月に聴いたシュターツカペレ・ドレスデンによる極上のメタモルフォーゼンを持ち出し、「それに比べて東響は」なんて感想は絶対に言いたくないのだが、それでも演奏前は否が応でも実力差が目についちゃうのではないかと考えていた。心の中で「まあ、あの水準を求めるのは酷だよな」なんて薄々考えていた。
 ところがそんな事前の想像を吹っ飛ばす演奏。鳥肌が立った。精細で丹念で、演奏者全員がシュトラウスの緻密な音楽に没入している。聴いているこちらが、そのアンサンブルに吸い込まれるかのようだ。
 
 東響の技術の高さと集中力には本当に感心した。と同時に、指揮者ノットの作品の掌握力にも目を見張った。ノットはこの音楽を明確に解析し、細部に至るまでしっかりと色付けしている。それに東響の優秀な弦楽奏者たちが応える。見事なコラボレーションだ。
 
 後半もまた驚嘆すべき演奏。ただしその音楽はとてもユニーク。特徴は、ブルックナーにありがちな神々しさ、神秘さ、深淵さを探るために重く沈んでいくのではなく、身近で等身大なヒューマニズムを表現していること。その時々によって多彩な表情を作りながら、立ち止まらずに歩みを続ける。音色は明るく、前向きで広がりを感じる。ノット自身のタクトが、空に向かって音を解き放っているかのよう。
 
 更にそのノットの指揮を見ていて気が付いた。この指揮者は出てくるオーケストラの音を聴いているというより、まるで自分の頭の中で鳴っている音に向かってタクトを振っているかのようだ。指揮している姿を見ていれば、何を考え何を目指しているのかが一目瞭然。なので、聞こえてくる音楽が非常に分かりやすい。それは、おそらくオーケストラ奏者にとっても同じだろう。演奏しやすく、安心してすべてを委ねることが出来る指揮者だ。
 
 結論は「東響はまたもや良い指揮者を見つけてきた」ということ。やるなあ、東響。