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2019/11/16 東響

2019年11月16日   東京交響楽団   サントリーホール
指揮  ジョナサン・ノット
ベルク  オーケストラのための3つの小品
マーラー  交響曲第7番 夜の歌


ノットが素晴らしい指揮者だということ、東響とのコンビネーションが良好であること。
これらは十分承知しているのに、それほど公演に行けていないのには理由がある。
プログラムに必ずと言っていいほど現代音楽が組み込まれるからだ。
その取組みやポリシー自体を否定はしない。むしろ、芯のある徹底ぶりには清々しささえ覚える。
ただ、私自身が現代音楽を毛嫌いしている以上、どうしようもないのである。

もしからしたら、ノットからしてみれば、「そういう私のような人間こそ、自分のコンサートに来てほしい」と思うかもしれないね。まずは実際に聴いて確かめてくれ、と。
でもごめんなさい、ノーサンキュー。さんざん聴いた上で毛嫌いしているんで。

この日のベルクも、そうしたプログラム・ポリシーの一環だとは思うが、良かった、ベルクならわたし的に十分オッケーだ。マーラーの作品の中ではなかなか演奏されない7番との組み合わせというのも、気に入った。

こうして両作品を聴いて、ますますこの二人の作曲家を並べたことの絶妙なプログラミングに恐れ入る。つながり、連関を感じるのだ。そして、それらを確信的な意図によって浮き彫りにしたことも、きっと間違いない。
そうした意図なら、マーラー、ベルク、という順の方が本当はいいのかもしれないが、さすがにそれは難しいのだろう。

さて、メインのマーラーの演奏については、「うーん・・」と唸ってしまった。
指揮者ノットがこの作品を熟知し、手玉に取っていたことは、一目瞭然だった。むしろ、完璧なほどの掌握力に驚嘆したくらいだ。

問題は、その再現性である。
なぜ、この作品がマーラー交響曲の中で人気がなく、あまり演奏されないのか。それは、この作品が重苦しく、複雑怪奇で、聴いていると世紀末的な錯乱に陥るからだからだが、ノットはそうしたことを包み隠さず、冷酷なまでに毅然と提示したのだ。
ノットからしてみれば、指揮者として当然のことをしたまでだろう。だって、楽譜にそう書かれているのだから。これこそが7番なのだから。
でも、それは聴いていて辛い。
もっと言うと、演奏側のオケにとっても辛い。
化粧を施さず、すっぴんをさらけ出すよう指示されたも同然だから。
案の定、オケ内ですっぴんをさらけ出す潔い覚悟が決まった奏者と、躊躇があった奏者とで、温度差が出た。

結果オーライだったのは、最終楽章の華やかなフィナーレによって、すべてが帳消しになったこと。

聡明なノットのことだ。そうしたことを百も承知での演奏解釈なのかもしれない。演奏後の「してやったり」の笑顔が、実に印象的だった。